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第69号 「御内仏・御本尊・御荘厳」 後編

カテゴリー:法話集    更新日:2014 年 7 月 1 日

 【前号より】 
「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土は恋しからずそうろうこと、まことによくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ」「いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからずそうろうこと、まことによくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ」「名残惜しく思えども、娑婆の縁つきて力なくして終わるときに、かの土へは参るべきなり」『歎異抄』第9章
 私もずいぶん年を取ってしまいまして、昭和9年生れの今年79歳になります。来年はもう80歳になるという、そういう老齢になりまして、ああ私も遂に80が近くなったなあという思いが多いのですが、それにつけても、そう言えば私の先生の晩年にだいぶ近づいてきたなと思って私が直接真宗の教えを聴聞した先生は安田理深という先生なんです。安田先生が84歳の時だったんです。だから私ももうしばらくすると先生の亡くなった年に近づいていくわけです。
 安田先生が80を越えてからみんなの前で「わしも80を越えてしまったけれども、別に死にたいとは思わん。死にたいとは思わんけれども、やがてあの『歎異抄』に書かれている言葉のとおりなんだ。それは娑婆の縁つきて力なくして終わるときには、かの土には参るべきなり、ということだ。必ず私も、死にたくはないけれども、娑婆の縁が尽きたならば、必ず皆無為自然の浄土へ帰っていくんだ」ということを、晩年安田先生が話しておられた事を私は聞きまして、そうか、その先生の年に近づいてきた、と思ったんです。私自身もやがて、娑婆の縁つきて、そして力なくして終わるときには、かの土へは参らなければならないんだなということを、この頃しみじみと感じております。
 もう私は源信寺の報恩講にお参りさせていただくことも間もなくあの世に召される……。と申しますのも、ここでちょっと私事なのですが、私のかつて一緒に仕事をした方やら先輩やらが次々に亡くなっていかれているのです。それを聞いて、ああ、あの人も亡くなった、この人も亡くなった、この間あんなに元気だった人も亡くなったということで、やがて遠からずという思いに行き当たるのです。
 私も遠からずという言葉がしみじみと思い返されまして、いま自分の仲間達が次々と無為自然の世界に帰って行かれるというと、「私も遠からず」という思いを強く持つもので、それでそんなことを記したわけです。「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土は恋しからずそうろうこと、まことによくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。名残惜しく思えども、娑婆の縁つきて力なくして終わるときに、かの土へは参るべきなり」という『歎異抄』の言葉がしみじみと思われるのです。
「御内仏」というのは「私」がそこで「南無阿弥陀仏、帰命無量寿如来、南無不可思議光」とお参りをする、阿弥陀様との応答の場所が「お内仏」であり、仏壇とは言わないです。それから家庭内の持仏堂ということから「内仏」と言われているようです。仏壇とは言わないで。「私」が家庭内でお参りする場所、それが「お内仏」です。そこで「私」自身が「南無阿弥陀仏 帰命無量寿如来 南無不可思議光」と、阿弥陀様の教えをいただかせてくれる、そこに立っておられる方が、私どもの宗旨における御本尊である「阿弥陀仏」一仏なりということで、位牌壇のことではないのです。
 それからお写真を飾る場所、まあ皆さんお写真を飾っているのですが、本来お写真を飾る場所ではないんです。それにみんな逆らっているわけです。「住職、そう言うけれども、やっぱり父親の写真がないと」「やっぱりお位牌がないと」というふうに、私どもはやはり教えられても教えられても、逆さまごとから離れられない、それを「娑婆永劫の苦」が捨てられないのだということで、「そうでした」と、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すところ、そこに「私」自身が救われていくんです。それが「お内仏」であり、「御本尊」なんです。そしてそこにお飾りするお花も、何も阿弥陀様のほうに向けて活けるわけじゃないのです。お飾りの基本は何かというと、花と香りと光です。「光」は私の闇を照らしてくださる、「花」は親鸞聖人ご自身の「一々の花のなかよりは三十六千億の光明照らして朗らかに至らぬ処はさらになし一々の華のなかよりは三十六千億の仏身もひかりもひとしくて相好金山のごとくなり」との詞があります。花はどんな花でもみんな力一杯咲いている、それを私どもに教えてくださっているのです。ですからお花を死んだ人にあげるのではなく、花に私どもが見られているのです。花はどんな花、小さな花であろうと大きな花であろうと、もう力一杯咲いている、それを私どもはお内仏の中に入れて、その花に「私」が照らされて、一々の花の中には三十六千億の光明が私を照らしているじゃないかと、こう親鸞聖人が教えておられる、それが「御荘厳」です。「花」と「光」と「香り」これによって、「私」自身がそこで「南無阿弥陀仏」に目覚めさせてもらえる、こういうことが言えるかと思います。
 それが私ども真宗にとりましての「お内仏」であり、「御本尊」であり、「御荘厳」であろうかと、このように思うところでございます。


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(2023 年 7 月 12 日)