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第58号 報恩講

カテゴリー:法話集    更新日:2011 年 10 月 1 日

 親鸞聖人は、われらが身に満ち満ちて、私のすべてが無明煩悩なのだと。欲もおおく、それで欲の通りにいかないとなると、怒り、腹立ち、ねたみ、そねむ心多く、ひまなくして、臨終の一念に至るまで、とどまらず消えず、たえずと表されておられる。そのことを凡夫というのです。
 五木寛之さんが、まだ若い時に東京を離れて奧さんの実家の金沢で暮らしたことがあり、金沢大学の図書館の中に暁烏 敏(あけがらす はや)文庫という一画があり、そこに非常に沢山の書物があります。暁烏先生は、浄土真宗の教えに生きられた方でございます。 その暁烏先生が自分で所蔵しておった5万冊か6万冊の書物を金沢大学に寄付されました。
 明治の30年代に真宗大学が設立されまして、その初代の学長になった方に清沢満之という方がおいでになりますけれども、その清沢先生の門弟だった方が、暁烏敏先生という方だったんです。その暁烏先生が真宗の清沢先生の教えを受けて、全国で真宗の教えをお話になり書物をお書きになった。
 それを読んで清沢満之先生のことを知って私は、そのころ論文を書きましたということを語ってありました。それと同時に金沢の人々が、蓮如上人以来の、南無阿弥陀仏とお念仏を申し「歸命無量壽如來、南無不可思議光」という「正信偈」を読まれている、その様子を聴いて、これはかつて私もどこかで聴いたと、思いだしてみると、自分の実家は九州で、両親がいつも「歸命無量壽如來、南無不可思議光」とお勤めをしておった。それでそのことを思い起こし、やがて親鸞聖人の生き方そのものに大変ひかれて、勉強したいと思い、自分の実家のあった九州の浄土真宗のお寺にどうしたら親鸞聖人のことを学ぶことができるだろうと聞きました。ご住職から京都の龍谷大学へ行きなさいと教えられ、龍谷大学で四年間、親鸞聖人について学んだのですというお話しをしておられました。
 その中で、アナウンサーが、親鸞聖人というと、いわゆる「悪人の自覚」ということがよくいわれますけれども、どうして悪人ということがいわれるのですかという事を聴いたのです。それに対して五木寛之さんが、実は私は父の仕事の関係で、子どもの頃、平壌(今の北朝鮮)で生活をしておりました。昭和7年生まれですから終戦の年は、丁度中学1年生です。突然戦争状態に入ってソ連軍が北から押しよせてきて、死にもの狂いの極限状態で平壌から38度線を越えてアメリカの収容所に到達し、そこから日本へ帰ってくることができた。だけれども38度線を越えるまで、人間の極限状態の中で、人間の本性というものを、しみじみと見せ付けられた、こういう話をされたのです。
 そして、私の知り合いが平壌から逃れて来るときに船に乗って来たけれども、船に乗るとき、船によじ登ろうとすると、後ろから来た人がその足をつかんだというのです。 つかまれた人は「何をする」とけり落としたというのです。その人は海へ落ちて死んでしまった。だけれどもその時け落とさなかったら私は生きて船に乗ることはできなかった、と語っていた人がいるという事を、五木寛之さんはラジオで放送されたのです。
 NHKから雑誌が出ており、そこに五木寛之さんが、「私と親鸞」という題で話されたことが言葉になって書かれておりました。私は、まず、自分の知り合いの人が、逃れるとき、船に乗るときに、自分の足に捕まった人をけ落とした。そのことを生涯忘れることができないという事を話しておられた、それがどういうふうに表現されているかと、そのところはNHKでは削ってありました。やっぱり人をけ落としたということは、NHKでは文字として表現することができなかったのでしょう。だけどそこにはこう記されておりました。 難民となって北から逃れて38度線を越えて、米軍キャンプに収容されるまで言わば極限状態の中で、人間の本性を見たのです、人を押しのけてでも自分が生き延びることを考えたものだけが、生きる事ができた。お先にどうぞという礼儀正しい、心優しい人たちは生きて祖国に帰ることはできなかった。そこに、五木寛之さんは、人間の本性を見たといっておられるのです。それが人間なのだと。それを忘れることができない、人をけ落としてまでしないと、生きる事ができない、わが身ということに、気付かせていただいたのだ、こう五木寛之さんは語っておりました。
 そのことで私が思いだしたのは、芥川龍之介が大正7年に書いた『蜘蛛の糸』という短編小説があるんです。小説では、ある極楽の朝どきです。極楽の蓮池のほとりをお釈迦様が歩いておられて、ふとお釈迦様は足を止めて、その池の底をじっとご覧になった、その極楽の蓮池の底は、はるかかなたの地獄に通じておりました。その地獄の様子をお釈迦様はじっとご覧になっておりましたら、その中に一人、カンダタという男が、血の池地獄の中で苦しんでいる姿が見えてきました。お釈迦様はそのカンダタという男は、この世にあったときは人殺しをするやら、放火をするやら、泥棒をするやら大変な悪事を働いた、その報いで、今地獄へ落ちており、ただお釈迦様は、たった一つ、悪人のカンダタでも良いことを一つしたことを思い出された、それはカンダタが森を歩いている時、一匹の蜘蛛が道を横切ろうとしていた。カンダタはそれを見つけてその蜘蛛を踏み殺そうとしたけれども、待てよ、こんな小さい生きものでもやっぱり命があるんだから大事にしてあげなきゃならんと、そっとその蜘蛛を逃がしてやった。そのことをお釈迦様はご存じで、蓮池のほとりに巣を張っていた蜘蛛を一匹捕まえて、そっと地獄に向かって落とされた。一方、毎日血の池地獄の中で、苦しむカンダタは、上からきらきら輝くものが一筋落ちてきた。なんだと思って目を凝らすと一筋の蜘蛛の糸が落ちてきた。カンダタは、しめた、これをつかんでいれば何とか、この血の池地獄から逃れることができるかもしれないと、その蜘蛛の糸に捕まって、一生懸命にその蜘蛛の糸を上りはじめた。もう手が動かなくなるほど昇り詰めて、はるか下を振り返ってみると、血の池地獄がはるかに小さくなっていた、もうすぐだと、このままうまくいくと、地獄から抜け出せるかもしれない。さあもう一度、勇気をふるって上っていこうと思ってもう一度下を見たら、カンダタは肝をつぶしてしまった。カンダタが上ってきたところを、地獄のほかの罪人たちも一生懸命カンダタの後を追って上ってくる。何十人、何百人の地獄の亡者が蜘蛛の糸を上ってくる。カンダタはびっくりして、こんな細い蜘蛛の糸、おれ一人でもやっと保っている糸は、こんなに大勢の人がつかまったら切れるに間違いない。そこでカンダタは、思わず叫んだ、「こら、この蜘蛛の糸は、おまえたちの登る蜘蛛の糸ではない、これはおれの蜘蛛の糸だ」と叫んだ途端に蜘蛛の糸が手元からプッツリと切れて、カンダタは再び地獄へ、真っ逆さまに落ちていった。その様子を、お釈迦様は、はるかかなたの極楽の蓮池のほとりからご覧になっていました。そして静かに池のほとりから去って行きました。
 ここで芥川龍之介は、だから人間、我を張ってはいかん、我を張らないで、みんなのために生きていかなきゃならないんだということを、小説で表現したのでしょう。
親鸞聖人は『歎異抄』の中で、
「聖人のつねのおおせには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、束縛の業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれという金言に、すこしもたがわせおわしまさず」と書いているのです。
 親鸞聖人のお言葉を聞いて、正信偈の中に「善導独明仏正意」ありますでしょう。親鸞聖人の師の法然上人は善導大師のお言葉によって廻心された。その善導大師のお言葉に、「自身はこれ、現に、罪悪小事の凡夫」、凡夫だから曠劫よりこの方、常に苦悩の中に沈み、常に苦悩の中に流転して、その苦悩から出る縁も離れる縁も一切ない身でしたと。こう善導大師がおっしゃっている言葉とまったく同じ事を親鸞聖人がおっしゃった。
その本性を持っておる限り、常に苦悩の中に沈み、本性を持っている限り常に苦悩の中に流転して、出離の縁無し。そこから出る一切の縁が無い、苦悩から出る縁も本性を持っている限り苦悩から出る縁も離れる縁も一切ない身だったということに、善導大師は気付かれたけれども、今、親鸞聖人も、まったくそれと同じ事をおっしゃっています。
 この事から「出離の縁無し」ということから、これをお経の上では、無縁って事が、如来の無縁大悲と教えておられる。「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし」、身を粉にするって事は何かというと、出離の縁無くして生きる、苦悩の中に生きる、まさに如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし。それから師主知識、そのことを気付かせてくださった師、親鸞聖人の言葉も師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし。粉骨砕身です。身を砕け、苦労の中にしか生きられないということが、これが苦悩の中を生きていくことが如来大悲だとこういうことを親鸞聖人がご和讃の中で教えてくださった、それが報恩ということなのでしょう。それで決して私どもの愛情をもって親鸞聖人と親しく、あがめ奉るというような、そういう意味ではなくて、私自身が苦悩の中にしか生きられない身だったということに気付いたときに、ああ、そういう意味だったのだなということに、「うん」とうなずかせていただいた。
 「今のいのちが、あなたを生きている」という「いのち」というのは、無為自然(むいじねん)の命なんです、私たちの。無為というのは、人間の考えが一切入らない、人間の考えることを有為というのです、有為というのは、「いろはにほへと、ちりぬるを、わがよたれ、そつねならむ、うゐのおくやま、けふこえて、あさきゆめみし、ゑひもせすん」うゐ(有為)という言葉が出て参ります。私たちが今、ここに生きているのは、私の有為の考えでこの娑婆に生まれてきたわけじゃなくて、無為の自然の働きのお浄土の命をいただていて、今生きているわけです。だから無為の命ですから、いつまで続くやら、どのようなかたちになるやら、私には分かりません。だけど、私は今、ここに生きているということは、無為自然のお浄土をいただいている、業の道自然の中に今生きている、それで苦しんでいる。その道に私どもが、おまえは今、業の道に苦しんでいるのだぞということに気付かせてくれるものが、願力自然(がんりきじねん)〓念仏申せ〓ということです。本願力です。願力自然の中に今生かされて、ああ、そうだったと自分の身が本性にしか生きてなかったということに、そうだと気が付いたときに、気付かせるのが、願力自然なのです。そこで南無阿弥陀仏と念仏を申すときに、無為自然の浄土に私は既に生かせてもらっていることに気付かせてもらう、そういう目にあったら、念仏申せという、願力自然の世界に導かれて、無為自然のお浄土に生かさせてもらっていることに気付かせていただくことが、大事なのではなかろうかと。
 思い付くままに、お話しさせて頂いたことでございます。    どうもありがとうございました。


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