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第59号 親鸞聖人750回御遠忌に

カテゴリー:法話集    更新日:2012 年 1 月 1 日

 今日のこの機会を与えてくださったご住職や坊守さま、総代の皆さんのお心遣いに本当に感謝申し上げます。まして、今年の報恩講はいつもの報恩講ではない、親鸞聖人七百五十回御遠忌報恩講、こんな記念すべき場に私が本当に立っていいのだろうか。どんなことを皆さんにお話をすればいいのかなと、こうして震えながら立っています。
 妻と二人でお寺をどうしようかと思って探したときに、妻がこのお寺を見つけました。母の遺骨を、皆さんと同じように室内墓所に入れて頂いて、皆さまもいつもいらっしゃるこの環境を妻も一目で気に入りました。何よりも、皆さまもそう思うことですが、ご住職と坊守さまの暖かい志に一目で感激して、申し込んだ次第です。当時は流山に住んでいましたから、ここへ来るのも近くて、二人でいつも寄って、坊守さまとお話をして、帰るときは「来てよかったな」といつも思いながら帰った日々です。そんな私の人生が一変したのは、昨年の七月に亡くなった妻の死からです。60歳を迎えて会社もあと四~五年というところ、世間でいうこれから二人の人生、私たちには子どもがいませんでしたので、二人の人生をこれから歩めるかなと思っていた矢先でした。最期に話した言葉は「行ってくるよ」、「うん、ありがとう」という言葉でしたけども、朝元気だった人が帰ってみると亡くなっていた。人の世のつれとは いいながら、自分にそういう場が来たということに関しては、その時は本当に固まってしまいました。
 一年たって皆さんとお話ができるということなんていうことは、想像すらもしなかったことでした。皆さまにも、この源信寺には最愛の人がいらっしゃると思います。27年の結婚生活でしたけども、今は片腕をもがれたような何とも言えない寂しさもあります。18歳で東京に一人で出てきて、60歳で一人になったということを考えると、何のためにこの後、生きていこうかなと、時々思うこともあります。この様な時に、このお寺のご住職のお話を聞いている時に、気が付きました・。実家も浄土真宗でしたので。「帰命無量寿如来」という言葉は、小さいころから親しんではいたのです。それが『正信偈』ということに気付いたのは、実はこのお寺に来た、そんな私です。
 親鸞さんの教えに自分で触れてみる必要があるんじゃないかと思い、すてきな言葉を見つけました。それは親鸞聖人が大切にした『大無量寿経』の中です。
獨生獨死 獨去獨来。身自當之、無有代者
「ひとり生まれ、ひとり死し、ひとり去り、ひとり来りて。この身みずからこれを当たりて、だれも代わる者なし」
 つまり、人は独りで生まれて、独りで死んで、いずれ友達も一人ずつ去っていく。でも、この自分の身は誰にも代わることはできないということだそうです。最初、この言葉を聞いた時にはあまりにも寂しい言葉かなと思ったのですが、まさか60歳で独り暮らしをしようとは夢にも思っていませんでしたから、この言葉の持つ寂しさを感じて、亡くなって四十九日ぐらいまで、何を見ても何を食べてもおいしくない、むしろ寝るのが怖いぐらいで、よく車の中で大声で泣いて運転したことを思い出しました。幸い仕事をしていましたから1週間ぐらいで会社に復帰しましたけども、それでも大勢の中で何となくひとりぼっちという感じをずっと抱いてきました。
 よくよく言葉を受けとめてみると、こういう考え方だそうです。独り住まいというのは確かに孤独には違いありませんが、その人が本当に孤独かどうかはまた違うのではないかということだそうです。確かに、朝「おはよう」という人はいません。仏壇に向かって「おはよう」とは言っておりますけども、家族の中で同居してもあいさつがないという家族の悲惨な話題もたくさん聞くようになっていました。むしろ、そのほうがどれだけ孤独なのかなということだと思います。
 そんな中で、三月十一日の震災でした。当日私は会社でしたが、大きな揺れを感じました。その後の津波、原発の事故、目の前で愛する家族と別れなければいけなかった人たち、そういう人たちの報道を見るたびに、自分はまだよかったのかなという気がしております。
 私が源信寺に毎月来るのは、もちろん妻のお墓参りが目的ですけども、まず阿弥陀様におまいりし、妻のお墓に。それだけではなくて、そこでまた坊守さまとお話をしていく。目の前の欲に負けて、ここに来るには足が進まないことが時々あります。でも、北千住からあの公園まで行こう、もうちょっとあの角まで行こう、そう思って来て、ご住職と坊守さまの暖かい気遣いに触れて、やっぱり来てよかったなと。何となく気持ちが軽くなって帰っていく。多分、これを感じるのは皆さまも同じではないかなという気がしております。
 その中で今年の5月、「親鸞聖人七百五十回御遠忌法要に行きませんか」というお誘いを受けました。そういったお声をかけていただく、これもご縁と思いまして、参拝いたしました。まずびっくりしたのは、たすきを掛けて北海道、鹿児島、沖縄、そういった人たちが来ているということ、親鸞聖人の教え、つまり真宗の教えが全国に広がっていると感じました。それからもう一つ、広い御影堂に座って何とも言えない空気、750年という時間を超えて、この御影堂にたくさんの人が座ったんだろうということを感じると、自分が60歳になって、この日に行けたということ、これは皆さまも含め、いろんな意味で助けられて、ここまで来れたなと。まず、それを感謝しなければいけないという空気を感じました。
 今、上野の国立博物館で「法然と親鸞 ゆかりの名宝」特別展が開かれています。お手元に私が勝手につくった資料ですが、玄関にポスターがかかっています。展示会というのは一回行けば普通ですけども、京都の展示会も含めて三回行かせてもらいました。何で三回も行ったのかなと思うと、二つ大きな出来事といいますか、心を動かすことがありました。そこにある阿弥陀二十五菩薩来迎図という、これは京都の知恩院にある国宝だそうです。絹の布に書かれた絵です。この解説を見て、少し勉強したら、これはすごい絵だなというのが分かりました。来迎図というのは、全国各地にあるそうです。しかし、この真ん中にある阿弥陀様が亡くなる寸前に、その人のところに25の菩薩様を連れてやって来てくださるという絵だそうです。この菩薩様は今でいうギターとかマンドリンという楽器を持って迎えに来てくれているのです。これを見たとき、妻のことを思い出しました。ギターやマンドリンが好きだった妻。そういう意味では、彼女は阿弥陀様に迎えられて旅立ったのだと思ったのが一つです。二つ目は、神奈川の浄光明寺にある四メートルもあるような大きな三尊像が真ん中にあります。それが一つの目玉ですけども、その横に京都の禅林寺にある阿弥陀様がひっそりと置いてあります。この阿弥陀様の顔を見た時にびっくりしたのは、私だけですけども、まさに妻が亡くなったときの顔そのものでした。よく百羅漢に行くと似たような顔を見られるということがありますけども、まさかあそこで妻の顔に出会えるとは思いませんでした。多分、それは一時の気持ちかなと思って、先週の土曜日にも確かめにわざわざ雨の中を行ってきました。やっぱり、そう見えるのです。二百の品々があるのですけども、本当に時代を超えて、一つ一つ私たちに教えの尊さ、「南無阿弥陀仏」をつぶやくことによって救われるという法然、親鸞の教えの歴史の長さをひしひしと感じた次第です。
 最後に、もし妻が生きていたら、多分このお話をしたときに、「皆さんに、この歌を聴いてもらったらどう?」と言ってくれると、自分勝手に解釈をしています。さだまさしさんの歌「いのちの理由」という歌です。これは800年であります法然上人の浄土宗のテーマソングでもあります。皆さんと一緒に聴いていただければと思って最後に用意いたしました。
 最後まで私のつたない話を聞いてくださった皆さんの暖かいお心に感謝を申し上げます。
門徒 伊藤 修司


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(2023 年 7 月 12 日)