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正信偈の教え 第2回(98号)

カテゴリー:住職の一言    更新日:2021 年 10 月 1 日

はじめに「正信偈」の段落について。
「法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ)」からの四十二句は、親鸞聖人が、お経にもとづいて阿弥陀如来の本願のことを讃えておられる部分で、「依経段(えきょうだん)」と云い。四十三句目の「印度西天之論家(いんどさいてんしろげ)」からは、インド・中国・日本に出られた七人の高僧の本願についてのご解釈の要点を掲げて讃嘆しておられる部分で、「依釈段(えしゃくだん)」といわれています。
 はじめの「依経段」のうち、「法蔵菩薩因位時」から「必至滅度願成就(ひっしめっどがんしょうじゅ)」までの十八句は「弥陀章」と呼び、阿弥陀如来の誓いと願いのことが述べられ。そして、次の「如来所以興出世(にょらいしょういこうしゅっせ)」から三十八句目の「是人名分陀利華(ぜにんみょうふんだりけ)」までを「釈迦章」と云い、釈尊がこの世間に出られた意味が明らかにされているのです。あとの「弥陀仏本願念仏(みだぶつほんがんねんぶつ)」から四十二句目の「難中之難無過斯(なんちゅうしなんむかし)」までの四句は、「依経段」の結びとなる「結誡(けっかい)」といわれている部分です。
法蔵菩薩の願い
 【原文】
    法 蔵 菩 薩 因 位 時
    在 世 自 在 王 仏 所
【読み方】 法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所(みもと)にましまして、 
 この二句から、阿弥陀仏が仏になられる前、法蔵という名の菩薩であるときのことが述べられています。
 さて、「法蔵菩薩」についてですが、「菩薩」というのは、人びとを導き、救うために仏になろうとしておられる人のことです。つまり、仏になられる前の段階をいいます。 世間の無数の人びとは、真実に気づかず、自我にこだわっています。そのために、迷いを重ね、誤った生き方をしながら、それが正しいと思い込んでいます。その結果、人びとは悩み苦しまなければならないのです。菩薩は、みずから早く覚りを得て仏になって、そのように悩み苦しまなければならない、すべての人びとを救いたいと願われるのです。菩薩がこのような広大な願いをもって、仏になるための修行をしておられる段階を「因位(いんに)」といいます。そして、「因位」のときの菩薩の行(ぎょう)が完成し、願いがかなえられて仏になられた、その仏としての地位を「果位(かい)」というのです。
 『歎異抄』に、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(聖典640頁)。「阿弥陀仏が菩薩であられたとき、五劫(ごこう)という途方もなく永い時間をかけて考え抜いた末、おこしてくださった本願のことを、つらつら考えてみると、それは実は、私(親鸞)一人をたすけようとしてくださった願いとしか思えない」と、聖人はしみじみと述べておられるのです。


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(2023 年 7 月 12 日)