火葬・還骨
火葬場に着きますと、順次焼香をし、荼毘(火葬)にふします。火葬にかかる時間は、やく一時間です。この間、控室で待つことになります。
控室では、お互いに故人を偲ぶとともに、通夜などのときにお話しいただいた住職の法話(浄土真宗の話)を思いおこし、深く味わうこともたいせつなことです。
火葬が終わりますと、遺骨をひろい、壺に納めます。遺族は、身近な人の生身の姿からお骨になるまでの姿を、短時間のうちに目の当たりにすることになります。このような姿に接しますと、いよいよ人間の空しさ・はかなさが実感されるでしょう。
「・・朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。・・野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。・・人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきなり」これは、蓮如上人の「白骨の御文」の一節です。私たち人間は、朝には元気な姿であっても、夕には白骨となる身を生きています。老人も若者も区別なく、誰もが同じ無常の身を生きているのです。いつ死を迎えるかわからない身だからこそ、何はさておてもただ今の人生に心を向けて、南無阿弥陀仏を真の依り所に生きなければなりません。
蓮如上人が語る「念仏もうす」人とは、無量のいのちに目覚めて生きる人です。それは、悔いのない確かな人生を知った人です。
さて、遺骨と共に自宅に戻りますと、お内仏(仏壇)の近くに壇を設けて遺骨を安置して、お勤めをします。このお勤めを「還骨勤行」といいます。この勤行のおり、「白骨の御文」が拝読されます。心静かに拝聴したいものです。きっと蓮如上人の語りかけが亡き人の問いかけと重なって聞こえるに違いありません。
