聞けよ聞けよと (第59号)
聞いたふりして
聞かぬ私に
聞けよ聞けよと
弥陀の喚び声
例え話の内容を理解していなくても、話の趣旨に賛成していなくても「聞いていた」という。これらは耳で聞いたというだけで、その心持はうけとっていないのです。しかし「親の言うことを聞く」という場合は、親の心持ちを受けとり、親の願うとおりに行動して、はじめて「聞いた」というのです。本願の起されたわけと衆生を救うハタラキを聞いて、疑いの心がなくなってはじめて、本当に「聞いた」といえるのではないでしょうか。
