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お経の言葉

カテゴリー:コラム    更新日:2019 年 6 月 30 日

時たま「お坊さんは偉そうに漢文でお経を読んで……。もっとわかりやすい言葉で読めばいいのに」という声を聴きます。これはとても悲しくなる声です。私の手元にあるお経。このお経が、私たちの所に来るまでには何千、何万もの三蔵法師の命の犠牲があるのです。今から二千五百年前、仏教の開祖であるお釈迦様は、北インドのクシナガラという小さな村で、八十歳の生涯を終えられました。多くの弟子たちが悲しみをこらえて、ご遺体を荼毘に付し、遺骨を拾って仏塔を建てました。
 一方、お弟子の代表たる魔訶迦葉(まかかしょう)は、五百人の優れた弟子たちを集め、お釈迦様の教えを、のちの世に伝えるために経典の編集をしました。この時、自分の聞いたところを聴衆の前に披露する役を務めたのが阿難(あなん)でした。阿難は生涯、お釈迦様のお側に仕えて身の回りのお世話をした弟子で、多聞第一の阿難と呼ばれたお弟子さんです。「このように私は聞きました」と語った阿難の言葉を、五百人の弟子たちが確認し、声をろそろえて唱えました。こうして出来上がったものが、長い間、口伝えで伝承され、やがて文字に記録されて出来たのが「お経」です。
 お釈迦様はインドの方ですから、初期のお経は古代のインド語で書かれています。それが中国に伝わって漢文に翻訳され、日本では長い間、漢文のままに用いられてきました。漢文のお経を音読で読まれるのを聞いていると、何だか意味のない呪文を唱えているかのように誤解されます。お経はお釈迦様のご説法の記録なのですから、それを読誦する目的の第一は、私が教えを聞くためであり、その教えを末代まで伝えていこうとする営みに他ならないのです。
 漢文で書かれた経典の多くは「如是我聞」という言葉で始まっています。「如是」は(このように)「我聞」とは(私は聞きました)という意味で、もともとは阿難が語った言葉なのですが、経典を拝読するときは、その「私」のところに自分自身を重ね、仏の仰せを自らが聴聞するという姿勢になることが大切です。
 二千五百年も前に語られた言葉が、今もなお読み続けられているのはなぜかと考えてみますと、それは、私たちの人生にとって一番大事なことが説かれているからだといえるでしょう。それは、人間として恵まれた、この「いのち」の本当の尊さに目覚めなければ、私たちの一生はむなしく終わってしまうぞ、ということです。
 私たちは、いつの間にか、オギャーと生まれた途端に自分というものが出来上がり、誰の世話にもならずに自分の思いで生きてきた、と勘違いをしています。そして、生きていくということは、その自分の思いを満たすことだと思い込んでいます。
 しかし、よくよく考えてみると、自分で決断して生まれてきた人はいないはずです。気が付いたら生まれていた、というのが本当ではないでしょうか。そうであるなら、自分の「いのち」というものは自分で作ったものではなく、縁あって賜ったものというべきでしょう。そして、そのご縁はひとつやふたつではありません。無量の因縁とでもいうべき、数え切れない、ご縁の重なりによって、私たちは、この世に生を受けているのです。そう考えた時、自分の思いを満たすために生きていくと思い込んでいた人生が、頂いた「いのち」のご恩に報いる人生でありたいという思いに変わっていくものです。
 お釈迦様の教えに、じっと耳を傾けていたお弟子たちは、教えを聞くことによって自らの「いのち」の本当の世界に目を開かれ、「この教えに出遇えてよかった」と歓びながら、その歓びを語り継いでこられたのです。
「無量寿経」の最後は、「仏の所説を聞きたてまつりて、歓喜せざるはなし」と結ばれています。
「観無量寿経」は「仏の所説を聞きて、みな大きに歓喜し、仏を礼して退きぬ」で終わっています。「阿弥陀経」の末尾は「仏の所説を聞きて、歓喜し、信受して、礼をなして去りにき」となっています。
「浄土三部経」のすべてが、「如是我聞」で始まり「歓喜」で終わっていることの意味を深く味わってもらいたいものです。
 お経を読むとは、「いのち」をいただくことに気づいて頂ければ有難いです。


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