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無明(第51号)

カテゴリー:住職の一言    更新日:2010 年 2 月 11 日

最近「無明」という言葉がよく聞くようになりました
「無明」とは煩悩のことです。
人間は「煩悩具足の凡夫」とも言われ、煩悩のかたまり、煩悩に目鼻を付けたようなものです。
煩悩の中でも、とりわけ我々を悩ませるのは、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)の三つです。これを煩悩の三毒といいます。
「貪欲」は、欲の心のことです。
なければないで欲しい、あればあるでもっと欲しい、と人間の欲にはキリがありません。
「瞋恚」とは怒りの炎です。「怒」という字は、心の上に奴(やっこ)と書きます。誰でも腹が立つと、「あの奴め、この奴め」と、心の中で相手を切り刻んでいます。
「怒りは無謀(むぼう)に始まり、後悔に終わるものだ」と分かっているのですが、カーとなると何もあったものではありません。
「愚痴」とは、愚(ぐ)も愚(おろ)かなら、痴(ち)も知恵が病気にかかっている字ですから、同じく愚かです。正しい判断が出来ない心なのです。因果の道理が分からず、自分のまいた種を知らず、結果があらわれてから驚いて、こんなはずではなかったのにと、世の中を呪い。他人をうらみ、成功者をねたみ、感謝することを知らないことです。
俗に「隣に倉が建てば、こっちは腹が立つ」と言われるのは愚痴よりおこります。
 他人の幸福をねたみ、他人の不幸を楽しむ心が、愚痴です。これらの、欲(よく)、怒(いか)り、愚痴の心を持っているのが人間の本当の姿なのではないでしょうか。
特に最近の状況を見ていると何かこの煩悩に各人が振り回されて自我の人生を送っておられるのではないでしょうか残念なことです。自分がこの世に生まれた意義を考えてみたいものです。


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(2023 年 7 月 12 日)