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第48号法話 「今、いのちがあなたを生きている」

カテゴリー:法話集    更新日:2009 年 4 月 1 日

北原了義 西照寺住職
       2008年11月23日
親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ 報恩講にて

本年も御当山の報恩講にお招きをいただきまして、これからまたしばらくお話をさせていただきたいと思います。もうこれで何回目ですか、確か4年前くらいから寄せてもらっておるかと思いますが、同じようなことを繰り返しお話しすることになろうかと思いますけども、ご容赦いただきたいと思っています。
 本日は、こちら源信寺さんの「報恩講」ということですね。報恩講と申しますと親鸞聖人のご命日で、御本山(京都)では、21日の御逮夜から28日の御満座まで一週間ですね、報恩講が勤まっております。
 寺院関係の新聞で「文化時報」が発行されておりますけれども、それによりますと、ことしもだいたい3万人からの方が報恩講にお参りになるという記事が出ておりました。御満座の28日の日にはたいへん珍しく盛大な、お勤めが大勢のお寺さんにより親鸞聖人の御影像の前で、体をゆすりながらお勤めをするという、しかも東本願寺でしか勤まらない、そういうお日中のお勤めがございます。これを坂東曲と申します。その一週間のお勤めのことを「報恩講」と申しております。
 これは私ども親鸞聖人の教えを聴聞しておる者には必ず一年に一辺、親鸞聖人の報恩講をお勤めするということでございますが、それで御当山でもこうして本日ですね、宗祖親鸞聖人の報恩講が勤まります。
 報恩と申しますと普通、私どもは報恩感謝というような意味合いにとりまして「親鸞聖人の徳に報恩感謝する」と理解されがちでございますけれども、報恩というのは「お世話になったから恩返し」というような意味ではございません。もっと申しますと、私自身が苦しみから救われた、そのとき始めて自分がこの世の中に生きておることの値打ちというものに出合わさせていただく、それが即、報恩ということなのです。ですからもっと簡単に申しますと誠の教えを聞いていくということですね、それが報恩ということの意味であろうと思います。
 親鸞聖人は随分古い方です。ことしは西暦2008年で、西暦2011年平成23年は親鸞聖人が亡くなられてから750年経のです。
 親鸞聖人の750回忌法要を勤めるのに宗門を挙げて今、準備にかかってるわけですけども、なぜこんなことをするのかとこういうことでございますけれども。まずその750年前ですね、親鸞聖人がお亡くなりになったその事柄を、親鸞聖人の次が如信上人、3代目は覚如上人という方なんですけども、その3代目の方が親鸞聖人のご生涯を絵巻にまとめられました、それを御絵伝と呼んでおります。
 その御絵伝は、親鸞聖人が出家得度されてから90歳で亡くなられるまでのご生涯を、絵巻にまとめられたものです。その750年前、弘長2年という年ですけども、その年に親鸞聖人が亡くなられたときのことをですね、このように記しております。
 「聖人弘長二歳 壬戌 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。自爾以来、口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しこうして同第八日午時、頭北面西右脇に臥し給いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ。時に、頽齢九旬に満ちたまう。禅坊は長安馮翊の辺、押小路南万里小路東、なれば、はるかに河東の路を歴て、洛陽東山の西の麓、鳥部野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる。遺骨を拾いて、同山の麓、鳥部野の北、大谷にこれをおさめたてまつりおわりぬ。しかるに、終焉にあう門弟、勧化をうけし老若、おのおの在住のいにしえをおもい、滅後のいまを悲みて、恋慕涕泣せずということなし。文永九年冬の比、東山西の麓、鳥部野の北、大谷の墳墓をあらためて、同麓より猶西、吉水の北の辺に、遺骨を堀渡して、仏閣をたて影像を安ず。此の時に当りて、聖人相伝の宗義いよいよ興じ遺訓ますます盛りなること、頗る在世の昔に超えたり。すべて門葉国郡に充満し、末流処々に遍布して幾千万ということをしらず。」
と覚如上人がまとめてくださったわけです。
 親鸞聖人が亡くなられると聖人の遺骸を京都の鴨川の東の道を経て、洛陽東山の西の麓、鳥部野の南の辺、鳥部野のというところがございますけども、そこの南の辺の延仁寺で火葬にし、親鸞聖人の御骨を拾って同じ山の麓、鳥部野の北の大谷にこれを納めて、その上に親鸞聖人の御木像をお墓の上に安置したということが記されています。
 それがいわゆる親鸞聖人の本廟だったわけです。ところがその後、大勢の門弟が全国からそのお墓にお参りした。ところがただお墓にお参りしておるだけでなくて、やがてお墓から別のところに親鸞聖人の、御木像を移してそこに御影堂を建て、その御影堂を真宗の本廟として、お墓と御影堂を別にしてしまった。なぜか、それが一番問題なのです。
 私には、お骨にだけお参りする、お墓にお参りする、それが私ども仏法を聞いている者の証しのように思いますけれども、そうではなくて親鸞聖人の教えを聞くことにみんなが気づいて、親鸞聖人の肖像彫刻を安置して、その前にお参りして親鸞聖人の教えを聞いている。それで今、私どもの東本願寺、京都に行った方はご存じだと思いますけれども、京都駅の前を真っ直ぐずっと烏丸通りを行くとここに阿弥陀堂門と御影堂門という門が二つありここが東本願寺であります。
 その門の奥に御影堂というのがあります。参門に額がかかっていまして、その額にどう書いてあるかというと「これが真宗の本廟である」と。
本廟、普通、廟というのはお墓のことです。ここにはお墓はなく四条通りの突き当りに八坂神社があって、そこが東大谷で、ここにお骨が入っているお墓があります。(大谷祖廟)
 私達は普通、本山にお参りするのは、お墓にお参りするのでなくて、この御影堂にお参りして親鸞聖人の教えを聞いている、それが私どもの真宗の成り立ちなのです。
 これが、このごろ私ども一般の浄土真宗の親鸞聖人の教えを受ける真宗の御門徒だといいながら、実際は聖人の教えをあんまり聞いてもらえない。みんなが大事にしているのは何かと云うと、自分とこのお墓を大事にしていますね。
 それが、春のお彼岸のお中日だったのですけれども、私のところでは本堂で、法要を開きまして、あんまり大勢じゃないですけれどもお参りになった方々にですね、私どもは法話いたしております。
 みんなに聞いていただいて、春のお彼岸、秋の彼岸とですねお勤めしておりますけれども、このごろの風潮は、お彼岸というとみんなお墓参りの日だというふうに心得ておられるようで、テレビのニュースやなんかでも「今日はお彼岸で、お墓参りの日だ」と、盛んに言いますから、今の日本の風習は、お彼岸というのはお墓参りの日になっておりますが、本来そういう意味じゃないのです。
 それでことし春のお彼岸に、22か23日のお昼ごろに電話が来まして、
 名前をいわないのですが、男の年輩、やっぱり50代から60代ぐらいの親父さんだったと思うんですけども、「こないだお彼岸のお中日の翌日にお墓に参ってきた。そしたらまだ、お墓に行く道には雪が積もっておるやら、墓地には秋の落ち葉がまだ散らかっておって、とっても気持ちよくお参りするような状況じゃなかった」といいました。
 お寺というのは檀家の人が気持ちよくお墓参りができるようにお墓を管理するのが寺の仕事であろうと「いやあ、私のとこはですね、お彼岸というのはお墓参りの日じゃなくて、ご本堂でお彼岸のご法要を勤めて、そしてお参りになった方に仏法のお話をしている、それがお彼岸なんです。お彼岸の最初の日と、中日の日とそれから最後の結願の日とお勤めをしているのだと、それが彼岸会法要なのです。お墓参りをする日やないのです」と、こう私は言ったのです。そしたら「それじゃあお前のとこは仏教の寺じゃねえな」と、こう電話で言われました「いや私のところは浄土真宗ですよ」「浄土真宗はお前の言うようなことでもってお墓参りをですね中心にしないようだったら、そら仏法でない」とこう言う。「いや、私どもの宗旨はですね祖先供養しない、祖先供養をするところじゃない」ということを申しました。それで親鸞聖人の「浄土真宗はなんだ」聖人の教えを聞いていくとこなのだ。それで、聖人は、どうおっしゃってるかというと、聖人が亡くなられる前にですね、日ごろおっしゃっておったことは「某、親鸞、閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」これが、聖人のお言葉なんですよ。私が死んだら、私の遺骸は鴨川に捨てて、そして魚にやってほしい、これが聖人の遺言だと、覚如上人が記しておいでになる。だから私どものところはやっぱり祖先供養するのでなくて聖人の教えをどこまでも聞いていく、これが浄土真宗なんだということを申しましたら、向こうでバーンと電話を切られました。
 なんだ寺の住職のくせに、お墓の掃除もしないでなんたることだと、おしかりを受けたのでしょうけども、いまだにそのときの状況を私は思うておるんですけども、だけども聖人がそういうふうに「賀茂河にいれて魚にあたうべし」とおっしゃったけれども、直接に御門弟たちは鴨川に捨てることはできなかった、先ほど『口伝鈔』を読みましたように、御門弟たちはどうしたかというと、聖人の遺灰を東山の麓、鳥部野に運んで、そこで火葬にして御骨を拾って、そしてそれを大谷の地に埋めて、そこのお墓の上に御影像を安置して、そこにみんながお参りするお墓を作ったのです。お墓に毎日毎日お参りしておったけれども、皆ただお骨にだけお参りしておるんじゃなかったのですね。そうじゃなくてやっぱり聖人の、あのお姿の中から聖人の教えを聞いていくのだということに気がついたのです。
 お墓ではなくて別に御影堂を建てて、そこで聖人の教えを聞くところが、それが本当の本廟なのだ、というかたちをとるようになったのです。
 そんなことで、しみじみ思うのですけど、やっぱり私どもの教えをいただいた曽我量深先生が、本廟相続とそれから法事相続という言葉で講演をしておいでになるのです。
 そのときに「いや。実は曽我量深先生の中に、本廟相続と法事相続ということがある。それを一つ調べてみようと、それで曽我量深先生の本を読んでみますと、この東本願寺本堂には、本来の目的は法事相続なのだと、法事相続が真宗の信念である。それが真宗の教えですね、教えを相続していく、これが真宗の本来の姿である。これがそのまま本廟相続になるのだというふうに曽我先生が教えておられるのです。なるほど、そうか。私は、お墓だとかいうものじゃなくて、本堂にみんなが集まって聖人の教えを聞いていくところが、これがほんとうの真宗なのだ、こういうことを思い知らされたことなのです。
 現実には、法事相続ではなくて、やっぱりお墓にお参りする。私の新潟のお寺におりましても、それはやっぱり御本堂にお参りして、私どものお話を聞くことよりも、寺にある自分の家のお墓にお参りされる人のほうがはるかに多く、お墓にだけお参りしてさっと帰っていきます。だから仏法についてのお話を聞くなんて機会はまずないのです。
 今日皆さんはこうして大勢お集まり、東京の真ん中でこうしてお墓ではなくてお寺にお参りになって報恩講を勤めて、私の仏法の話を聞いてくださる、これが大事なのです。

次回につづき


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(2023 年 7 月 12 日)