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第45号法話「お念仏を申す」

カテゴリー:法話集    更新日:2008 年 7 月 1 日

北原了義師(西照寺住職) 報恩講にて
      2007年11月23日

「いのち」というのは、分別ではとらえられないのです。人に問われたとき、理性で考えて、私は新潟の寺に、長男として生まれたのですけれども、「新潟の西照寺の長男として生まれたい」と理性で考えて生まれてきたわけではない。物心ついたら、「おまえは寺の長男だぞ」と言われたのです。私の思いを超えて、この日本に生まれてきた。
 やがて、そのいのちは尽きるわけです。いつ尽きるのかというのは、よく分からない。「せめて八十歳くらいまでは」と思うけれども、「八十歳でいいのか」と聞かれると、「もうちょっと」。ぼけてはいけないからぼけないように、自分の最期はぼけずに健康のまま、幾つまで生きられるのかと、わがいのちでありながら全く分からない。
 安田理深先生は、「いのちは考えて理解できるものはない。科学では、いのちは説明できるけれども、いのちは説明で尽きるものではない。いのちは人間の理性を超えている」。また、曽我量深先生に、私は直接ではないけれども、教えていただいたのです。『正信偈』の最初の言葉が、「帰命無量寿如来」。無量寿に帰命する。「寿」というのは「いのち」ということです。無量ということは限りないということです。それに対して私どものいのちは、「いのちを大事に」というのは、この有量寿を大事にしようということである。有量寿をどんなに大事にしようとしても、最期は参ります。それは、私の分別で決めるわけにはいかない。分別を超えて、「死になくない」と思っても、命が尽きるのです。それに対して無量寿は、そういう私の思いでとらえることができないいのちです。私の思いを超えたいのち。だから、この無量寿は、生もなければ死もない。それが本当のいのちです。死があり、生があるというのは有量寿です。私を生かしめているいのちそのものは有量寿ではない、無量のいのちである。生もなければ死もない。それが無為自然である。そのいのちを賜って、私どもは今ここに生かさせてもらっているのです。自分の分別の中に閉じ込めてしまっている。いのちそのものは、私の分別を超えたものです。ここに帰命、「そうだった」と頭が下がってくる。運命。無量寿のいのちを、私が有量寿にしてしまっていたという、自分の分別の目に気が付いたときに帰命する。「南無阿弥陀仏」と、頭が下がってくる。それがいのちに気が付く。だからいのちそのものは、私の分別を超えたものです。もっと分かりやすく言えば、本当のいのちは生もなければ死もない。無為自然のいのちです。この無為自然のことを、「浄土」という。お浄土というのは、そういう架空の世界ではない。
 私どもが普通に考えていることは、人間が死ぬとお浄土に行く。浄土真宗は、西方十万億土を超えて世界があると名付けて極楽、安楽土という。しかし、「十万億土に世界があり」とは、お経には書かれていないのです。「十万億土を過ぎて世界があり」。人間の分別心は、十万億土にも匹敵するほど深い。その分別のしいて世界を名付けて「浄土」という。それが、お経が教えてくれるお浄土です。
 私ら人間は思いもつかない。死んだらどうなるのか。「死んだら父親も待っているし、母親も待っている」、かわいい子どもに先立たれた人は、「子どもが待っている。そこへ行く」と言うけれども、そこで本当に会うことができるのかと聞いたら、「会えると思います」全部推測です。それが分別ということです。分別から一歩も出られない。私どもは分別の中に閉じこもっているということに気が付かないのです。気が付くということが大事ですね。
 人間の分別を捨ててしまえば人間の有量寿を超えて、無為自然のお浄土の日暮らしができて、何の苦しみのない生活が開かれるのか。それなら分別を捨てて、無分別の阿弥陀様の知恵の中に入ったらいいではないか。そうしたら何の苦労もなくなってくるでしょう。
 曽我量深先生の先生は、明治時代に東京の巣鴨に真宗大学が建てられまして、初代学長を務められた清沢満之先生です。親鸞聖人のお言葉の『歎異抄』を通して、親鸞聖人の教えに触れていかれた方です。生まれは名古屋のほうの士族だったそうです。縁があって、寺に入って得度して僧侶になり。ここで親鸞聖人の『歎異抄』を読んで、親鸞聖人の念仏の世界の中に入られたのです。その清沢満之先生の教えを聞かれた方の中に、先ほど言った曽我量深先生がいらしたのです。私は直接、曽我量深先生のお話を聞いて、九十五歳まで生きられ、昭和四十六年に亡くなられました。先生は、清沢先生の言葉の中にいっぱい出てきたのは、苦悩です。人間の苦悩は、「妄念」妄念というのは、私たちはあれを思い、これを思い、自分の分別であれこれ空想して、それで七転八倒しているのです。
 いい例は、若いときはそんなことはなかったのですけれども、私も年を取って、夜に目が覚めてトイレに行って、時間が早いからもう一眠りしようと思って床に入るけれども、なかなか眠れない。眠れないとどうなるかというと、頭だけで、「明日の仕事はどうしようかな?」、「あれはうまくいかなかったらどうなるのか」とあれこれ考えて、体は布団の中に大の字になっているけども、心そのものはまるで七転八倒の思いになるのです。苦悩というのは、妄念の幻の過程である。結局、私どもはなんだかんだと、妄念の幻の過程におびえきっている。それで夜も眠れない。これが分別です。自分の分別に行き詰まってしまう。そのとき、「ああ、そうだった」といううなずきが「南無阿弥陀仏」の「なむ」ということです。「なむ」と気が付いてみると、体そのものはちゃんと布団の中に大の字になっているけれども、既に私の思いを超えて、楽々とそこに生きている。これが阿弥陀仏の世界である。「南無阿弥陀仏」の声に、人間の苦悩から解放されると、清沢先生は私どもに教えてくださった。先生は、若くして亡くなってしまっています。明治時代ですから、結核にかかって、わずか四十一歳で亡くなっています。その春に書かれたことが、「絶対他力の大道」というのです。身近な、親鸞聖人の誕生日に送られた言葉が残されています。その冒頭の言葉が、「われ、他力の救済を念ずるとき、わが世に処するの、道開ける」、他力の教え、念仏です。私は念仏を申すときには、この世の中を生きていく道が開けてくる。逆に、念仏を忘れると、私の生きていく道が閉ざされてしまうということを書いておられて、その年の六月に亡くなられるのですけれども、亡くなられる一週間前に『わが信念』という文章を書いておられます。その中に、「念仏申すときに、一切の苦悩がそこにいっときでも消えてしまうと、南無阿弥陀仏というお念仏とともに人間が救われている」。私どもも、悩みを捨ててしまえばいいのです。ところが、捨てられるものなら分別を捨てなさい。親鸞聖人の教えをやがて戦国時代、応仁の乱が終わったころに、本願寺の蓮如上人が念仏に教えを懇切に文章に書いて、私どもに残してくださった。その蓮如上人様のお文さまを私どもは普段いただいています。その中で、蓮如上人が繰り返しておっしゃっているのは、「自力の計らいを捨てて、他力の念仏を申しなさい」ということですね。それを繰り返し、繰り返しおっしゃっています。私どもはそれをいただいて、「なるほど。自力の念仏では駄目だ。他力の、人間の計らいを捨てて、人間の分別を捨てて、南無阿弥陀仏と阿弥陀を頼みなさい」。そこで、「ああそうですか」と、南無阿弥陀仏と言って救われる気になっているけれども、そこで大事なのは、親鸞聖人の教えをもう一歩そこから踏み込んでいく。「捨てろ」と言われても捨てられなかったらどうなるのか。「計らいを捨てなさい」、「はい、捨てます」というわけにはいかない。家に帰ったら、やはり「どうしよう?」、「こうしよう」、計らい詰めに働いて、初めて私の生活は成り立っている。私の計らいを超えて、のほほんとなってしまったら、生きていくこともできない。私自身は計らいを捨てることができなければ、苦悩はなくならないということである。どこまで行っても苦悩はつきまとってしまう。それを、親鸞聖人が教えてくださったのです。
 『歎異抄』、これは親鸞聖人が亡くなられた後に、親鸞聖人の教えを聞いていた唯円が記された言葉です。この最後に、「聖人のつねの仰せには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば」、仏様のご本願をよくよく案ずれば、「ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」、この持っているものを助けようというご本願です。善導の、「自身がこれ現に罪悪生死の凡夫、こうごうよりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。これは親鸞聖人がそうおっしゃっていたその言葉は、ちょうど善導大師の、
「私自身はこれ、現に、罪悪小事の凡夫である。こうごうよりこのまた常に沈み、常に流転して、いつも苦悩から出る縁も、離れる縁もいっさい無の縁あることなきにと知れ」。
 苦悩は常に流転して、その苦悩から出る縁も離れる縁もいっさい出離の縁有ることなき身だったということに、「そうだっったな」と気が付いたのが、南無阿弥陀仏の「なむ」という言葉です。これが親鸞聖人の教えです。これは、そのことに気が付くよということがご本願だったのです。出離の縁なし、無縁、助ける縁がいっさいないという、無縁ということに、「そうだった」ということに気が付いたことが、如来の大悲です。
 浄土真宗でも派がたくさんございます。私どもは真宗大谷派です。本派本願(お西)とか、高田専修寺派とか、木辺派とか、全部で十派あります。佛光寺派のお葬式に寄せてもらったことがあります。そのときに司会の方が、「今日、誰々さんのお葬式を勤めて、亡くなられた方は仏様の胸に抱かれて、お浄土へと旅立っていかれました」というあいさつをしておりました。 何か、ひとつちょっと違うのは、私どもを赤子のように抱き抱えて、お浄土へ送ってくださる方が、仏様のお慈悲というふうに理解するのですけれども、親鸞聖人はそうではなかったのです。実は苦悩の中に流転して、もう生涯、いのち終わるまで、出る縁も離れる縁もいっさいないということに気が付いた。救われないということに気が付いたこと、そういうわが身に気が付いたことがお慈悲である。これは観無量寿経の中に、仏心というのは無縁大悲。仏の心は私どもを救ってくださる。仏様はみんな無縁の大悲である。無縁の大悲は何かといったら、無縁である。これが仏のご慈悲であるというふうに、「なるほど」と私はいただいたのです。大事に愛してくださるのではなくて、逆に、私どもが出離の縁なき身だったということに、「そうだった」と気が付き始めた働きこそが、それが仏心、仏様のご慈悲だった。一番最初に申しました、「煩悩にまなこさえられて」、私どもは煩悩を持って、煩悩にまなこさえられて、私どもはみんな自分の煩悩を通して見ているわけです。仏様のお慈悲というものは、全然見えない。「摂取の光明見らぜども、大悲もの言うことなくて、常にわが身を照らす」、わが身が照らされていないかというと、煩悩にまなこさえられておったわが身に気付かさせた者こそが、如来大悲であると教えていってくださった。私はこういう話をしますから、源信寺さんから「来年から、もうよろしゅうございます」とおっしゃるだろうと思います。どちらがはやるかというと、「あなたたち、よくお参りしなさい。仏様は必ずわが子のごとく胸に抱いて、お浄土へ送ってくださる。その仏様を信じましょう」というお話をしたほうが受けがいい。「助からんぞ」ということを教えられたことが、真宗の教えだということを言うと、「そんな話はやめてください」と。このごろそういう風潮があります。真宗の教えを現代のヒューマニズムの心の癒しのごとく、利用されているのが現状ではないかとおもうのです。親鸞聖人が私どもに教えてくださった教えはそうではなく、出離の縁なきにというということに気付けということに、そのときに初めてお念仏がいただける。お念仏をいただけたときに、地獄の中にも立っていかれるという力がいただけてくる。これは親鸞聖人が『教行信証』という、われわれ浄土真宗の根本の聖典ですけれども、その中で信の巻、人間の信心について懇切に教えてくださる。その最後にまとめておられるのが、かつてお釈迦様がおいでになったころに、インドのマガダ国で起こった、ビンバサーラー王という王様を息子の阿闍世が殺害して、クーデターを起こして、自ら王の位に立つという事件が起こりました。ビンバサーラー王のお后が牢に閉じ込められたときにお釈迦様にお願いして、牢屋の中で教えをいただいて救われていったというのが観無量寿経です。一方、クーデターを起こして父親を殺して王位に就いた阿闍世も非常に苦しむのです。それは涅槃経というお経の中に、夜も眠れないほど、父親を殺して王様の位に就いた阿闍世は悩むのです。「親を殺して王様になった。必ず地獄に堕ちるだろう」と、そのときに大臣の耆婆という大臣が、「阿闍世王様、あなたはお釈迦様のところに行って、仏法のお話をお聞きしなさい」。お釈迦様の教えを聞いた。そして、「そうだった」と気が付いたときに、。「私は、これからは地獄に墜ちても悔いはありません」。地獄に堕ちることを悔いておった人が仏法のお話を聞くことによって、「そうか。私は地獄に堕ちても悔いがありません」と転換していく。その転換させるものが、信心によって託す。「南無阿弥陀仏」とお念仏する。そこに、私どもが凡夫の身が救われることなのです。
これがそのまま『正信偈』の最後のほうにも出ております。
 「極重悪人唯称佛 我亦在彼攝取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常我」
これは、「極重の悪人は、唯佛を称すべし。我、亦彼の攝取の中にあれども、煩悩にまなこさえられて、見奉らずといえども、大悲無能ということなく、常にわが身を照すたもうなり」。私どもが拝読する『正信偈』の中に、煩悩にまなこさえられているけれども、私は今ここに、そのことに気が付かさせていただいたのは、大悲の働きだった。煩悩にまなこさえられて、見奉らずといえども、大悲無能ということなく、常にわが身を照らしたもうと言えりとあるので、このことを私どもがいただくということが大事なことではなかろうか。そのことを忘れてしまうと、「死んだ人に聞かせてやってくれ」「お経をあげてやってくれ」という行事の中に終わってしまうのではないかと思うのです。
 誠にまとまりのない話でございましたけれども、時間がまいりましたので以上です。

(終了)


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(2015 年 4 月 22 日)