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第39号法話「今、いのちがあなたを生きている」 2回目

カテゴリー:法話集    更新日:2006 年 12 月 1 日

本多雅人師(蓮光寺住職)

2006年4月29日 永代経にて

「いのちの事実に立つ」というのは、仏教の一番根本です。仏教の一番根本はいったい何かというと、お釈迦様が発見したことを一言で言うと、「すべてのものは縁によって起こっている」「縁」というのはどういうことかというと、自分の思いとか感情に先駆けて与えられたものです。人間は愚かだから、目の前に起こってくることを自分の都合がいいときは、「いいご縁でした」と言って、都合が悪いと「運命だった」と言っているのです。そうやって与えられたいのちを、自分で峻別して選んでいるということが迷いだということを教えたのがお釈迦様です。
お釈迦様って皇子さまです。将来は王様になるし、それこそ名声もある。人より上に立っている、お金もいっぱいある。そういうものが全部あった人ですよ。あの方はそういうものがいくらあっても結局生きるということは思いもかけないことがたくさんあるし、長生きすると老いの苦しみがあるし、人間は必ず病気なるし、最期は死んでいく。このいのちの事実からは人間は出ることができない。だとするならば、「お金があっていいな」と言っても、お金を持って死んでいくわけにはいかない。「俺は元王様だったのだよ」と言っても、誰も相手にしてくれません。死ぬときはたった1人で死んでいくのです。これはいのちの事実です。言い換えれば、うまく行っているときは誰でも自分を大事にできる。うまく行っていないときも、「これも私の人生でおかげさま」ということをどこで言えるかというのが、仏教の教えになっています。大事にできない。しかしすべてが縁によって起こっているのです。こういうことがすごく大事なことではないかと思います。
 僕は、条件を整えてうまく行けば幸せだという気持ちがどうしても払拭できない。そこからなかなか出られないのです。皆さんはどうですか。「どんなにうまく行っても行かなくても、あなたは尊いよ」と言われたって、何を言っているか分からない。「そんなことを言うんだったら、少しは病気が治ったほうがいいし、そんなことよりもお金を稼いだほうがいい」って言うから、現代の人は仏法を聞かないのです。しかし全然こんなことを考えていないかというと、心の奥底では「本当に生きていてよかったと言いたい」という気持ちはありませんか。「どんなに苦悩があっても、私は生まれてきてよかった。生きてきてよかった」と、どこかで言いたいという深い願いがあるのです。それが潰されているのです。「いのちは大切だ。いのちを大切に。そんなことを何千何万回言われるより、『あなたが大切だ』。誰かがそう言ってくれたら、それだけで生きていける」。見たことはありませんか。公共広告機構の宣伝です。今、いのちが粗末にされている。この言葉は深いところで仏教が問題としている課題がある。よく青少年が何かやると、校長先生が、「あの子はいい子だったのだけども、何であんなことをしたんですかね」と言いながら、いのちを大事にする教育をしない。皆、そこらじゅうで、「いのち」、「いのち」って言うのですよ。はっきり言って、自分が生きていく力がわいてこないところで言われると、うざったいんです。「分かったよ」っていう感じです。それが最初の言葉なんです。いのちが大事だと思いたいのだけど、思う前にいのちを大切にしていない世の中で、「いのちを大切にしましょう」と言われれば言われるほど、皆、いのちに背いていくのです。「『あなたが大切だ』と誰かがそう言ってくれたら、それだけで生きていける」。お金があったほうがいいとか、健康であったほうがいいと一応考えるけれど、本当は、「あなたが大切だよ」。言葉を替えてみてください。「あなたが生きているそのものが価値あるよ」と言われたいのです。誰かが言ってくれたら、どんなに苦しいことがあっても何となくやっていける、のじゃないかなということを言っているのです。これは阿弥陀様が言っていることですよ。「摂取不捨」という難しい言葉があります。「あなたは尊いのだよ」ということをずっと言い続けるのが南無阿弥陀仏の教えです。いのちなんかどうでもいいと言っているのではないのです。この言葉を深く見ると、本当にこの私が生きていける根拠、生きていける大地、立脚地が欲しいということです。みんな持っていないのです。その立脚地が欲しいと言うわけです。
 簡単な比喩で言うと、旅をして楽しいのは何かといったら立脚地があるからです。立脚地は何かというと、帰る家です。帰る家があるから、旅先でつまらないことがあっても家に帰れるから安心できるのです。帰る家がなかったら、旅先で楽しくても不安です。現代は帰る家がないところで、人生の旅先で楽しいとかつまらないとか、おいしいとか、まずいとか言っているわけです。でもそれは必ず空しくなります。「あなたが大切だ」と言って、自分を丸ごと認めてくれるような大地。「いいのだよ、あなたは尊いんだよ」と言ってくれたら生きていけるって言っていますよね。この広告機構は気付いていないかもしれませんけれど、これは仏法です。われわれ宗門は、あえて「いのち」という言葉を使って、「今、いのちがあなたを生きている」と呼び掛けながら、本当に自分のいのちを全うしていこうということを願いとして、テーマを出しているのです。
私が私でありたいということを、仏様と言うんです。立派になるということではなくて、どんな苦悩があっても私は私として生きていきたい。それを生活の中で歩んでいくのを成仏像と言いますから、いつも私は私であるということをお寺に来て繰り返し教えていただく。それは亡くなった人の縁としてというのが、僕は一番強烈だと思います。亡くなった人が居るということにおいて、そういうことを感じさせていただくということが、一番大事なことではないかと思います。仏教が伝わってきたということはどういうことかと言うと、みんなお釈迦様のようになりなさいと言うのではないのですよ。

つづく


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