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第37号法話「今、いのちがあなたを生きている」 三回目

カテゴリー:法話集    更新日:2006 年 7 月 1 日

北原了義師(西照寺住職)

2005年11月23日 報恩講にて

ところが科学技術をつくり上げたもとの人間の知恵というものは、人間の理性も含めてすべてが人間の分別です。分別(ふんべつ)というのは人間の考えのことを言うのです。 仏様のことを「無分別の智」と、こういうわけです。無分別智、本当はこれが悟りです。
 人間の生活とは何かというと、分別の生活なんです。それで分別というのは、必ず行き詰まるんです。思うようにいかなく、そのことを私どもはなかなか気がつかないのです。それを養老孟司さんは『バカの壁』というふうにおっしゃったんですね。分別の壁の中に閉じこもっていながら、そのことに気がつかないでいる。
 ところが人間は、理性をやめてしまう、というわけにはいかないんです。今の私どもの生活の中では、そういった分別を尽くした人間の理性に立った生活しかできない。ところがすべてを自分の理性で考えておるけれども、事実は分別は理性を超えておるんですね。そんなことを私自身が気づかされたことがあるんです。
 私たちはよく「おれの命」と、こう言うでしょう。「おれの命」だと。私は北原了義の命だと、こう思っているけれども、北原了義というのは命より後についたもので、生まれたときには名前なんてないんですよ。それから名前がついて、おれが生まれてくるわけなので。命というものは、私を超えておる。それを、もっと言うと人間の理性を超えたものです、命というのは。そうでしょう。 人間の考えで名前をつけたけれども、命は人間の考えでつくったものではないんです。私はそのとき孫を抱いてみて、「ああ、そうか」。孫の命は何も賜った命なんです。
 実は今、命があなたを生きているという、その命というのはその命のことです。私の思いを超えた理性以前の、もっと言ったらそれが浄土の命なんです。お浄土の命です。だから今、ここにおいでになる人の命もみんな名前より先にいただいた命なんです。私が今、いただいておる命というのは、私に先立った命だと。そうすると、人間の理性は一人一人みんな別々です。そうでしょう。分別はみんな一人一人、全部別です。だけど分別を超えた無分別の智から生まれた命といったら、これはもうみんな一つの命なんです。そうでしょう。 分別を超えて、みんなその命を生きている。それをみんな私たちは忘れておって、理性でものごとが成り立っているんだと錯覚しているのが現代人なんです。
 親鸞聖人もそういう意味では比叡山におられたときには現代人だったわけです。理性に生きておられた。それが越後に来て、あの越後の理性を超えたところに生きざるを得なかった人たちの姿に触れて、流罪以後、親鸞と名乗られたと、こういうことを松原先生が私に教えてくださったんだなということに気がつきました。
 余談だけ多くて大変散漫な話になりましたけれども、今、命があなたを生きておるという、そういう御遠忌のテーマは、実はその命に気づいてほしいということです。もう一言申します。
 それに気がついたときは、実はそれが南無阿弥陀仏の「南無」なんです。南無阿弥陀仏の南無ということは、そういう意味なんです。ああ、そう。 私は今まで南無阿弥陀仏の南無ということを置きかえると、「ああ、そうだった」という感嘆詞が南無なんです。阿弥陀仏がこの無分別の智。みんな私たちは阿弥陀の命を生きている。阿弥陀の命をみんな自分の分別でもって「おれの命」にしてしまっているのです。
 そこで一つ大事なのは、それではもとの命、みんな一つの命だからもとに戻りましょうという、これがまたできないんです。やっぱり私ども、今生に生きておる限り、本当は無分別の智をいただいておりながら、その命を私の分別でしか生きられない身だったということに気がつかなければならない。それがほかの人たちの話とは別の、親鸞聖人独特の教えなのです。またそのことに気がついて、それじゃあおまえ、分別を捨てて無分別の一つの命で生きたらいいじゃないかと。 ところが捨てろと言われても、分別を捨てることができずに最後まで分別の行き詰まりを抱えていかなければならないというときに、それが南無阿弥陀仏の南無ということです。せっかく阿弥陀の命の中におさめられていながら、そのことに背いておった我が身ということです。南無。それで、親鸞聖人自ら愚禿の愚。分別はだめだから、分別を捨てなさいと言われて「はい、捨てました」というのだったら愚ではないんです。親鸞聖人がその言葉をおっしゃられたのは、そういうことにいくら気づいても、気づいても、愚痴のみ。もっと言うとこれはどうですか。愚痴のみということですね。無明ということです。明かりのない真っ暗な、自分の分別のその『バカの壁』から一歩も出れんでおる、私に「ああ、私自身がバカの壁に閉じこもっておるんだな」ということに南無と気がつかせていただく。
 それを私どもの先輩、やはり念仏の教えに触れておられた明治の人で清沢満之という人は、私は他力の救済――念仏です。南無阿弥陀仏を申すときに、初めて私にこの世に生きる道が開けてくる。逆に、南無阿弥陀仏を忘れると、私の生きる道が閉じてしまうということを、亡くなっていかれる年に私どもに教えられておられます。
 最後にその言葉を一つ申しておきますと、清沢満之という方の言葉ですけれども、「他力の救済」。明治三十六年四月一日に親鸞聖人の御誕生会のための祝辞として書かれた原稿ですけれども、「我、他力の救済」、念仏ということですね。「我、他力の救済を念ずる時は、我が世に処するの道開け、我、他力の救済を忘るる時は、我が世に処するの道閉づ」。分別に行き詰まったということに気がついたときに、「南無阿弥陀仏」と念仏を言うときに、初めてそこに分別を超えることができる。 なくすことはできないけれども、うそだと思ったらやってごらんなさい。それを今日、そのまま、我、他力の救済を念ずる時に我が世に処する、生きるという道が開けてくるんだと、こういうふうにおっしゃったんだろうと思います。それが南無阿弥陀仏なんです。ところがそのことは、ほかの宗旨でも南無阿弥陀仏というお念仏を抜きにして語られる場合がありますけれども、それはただ言葉として言われるだけであって、本当の念仏の生きた道になってこないけれども、このことは非常に大事なことだとみんな気づいてはおられるんです。
 ラジオの朝四時ごろからNHKで「こころの時代」というのがありまして、そこで奈良薬師寺の安田管主がお話しになりました。奈良に薬師寺という立派なお寺がございます。東塔という五重塔――あれは三重塔なんですね。ところが裳階というのがついておって六重塔に見えるんですけれども、それが一つ残っただけであとはほとんどなくなってしまいました。それが橋本凝胤という立派な仏教者が出られまして、そのお弟子の高田好胤という方が薬師寺を復興されたんです。高田好胤さんは盛んに、まだ有名になる前は修学旅行の学生に、「あんたたち、もっと自信を持ちなさい」と。これはミケランジェロがつくった時代よりももっと古い時代に、これだけの彫刻を日本人はつくったんだ。勇気を持ちなさいと言って高校生を鼓舞したというのが有名です。その方が伽藍復興を志して、そして今の立派な薬師寺をつくられました。今、その弟弟子で安田という方が管長になっておられるんですけれども、その安田管長さんが、「いや、あのとき高田好胤さんも、仕事をしているときは分別の行き詰まりがあって、どうにも、にっちもさっちもいかないで、落ち込んでしまったことがある」と。そのとき私たちの会合があって、そこで一杯飲むときにみんながいつも歌う歌があるんだと。それは「一献の歌」という歌なんだと。それはどんな歌かというと、「男だったら胸を張れ 万策ここに尽きるとも 天あり地あり未来あり 君盃をあけたまえ 我が友君にまず一献」、こういう歌だったんです。そこに「万策ここに尽きるとも 天あり地あり未来あり」、そういう歌を一杯飲むときに。高田好胤がそれを聞いて「ああ、そうか」と言われた。「万策ここに尽きる」、分別に尽きたときも「天あり地あり未来あり」。さっき出た阿弥陀の世界が開かれている。「その言葉に高田好胤はまた元気を取り戻したんです」と言っておりました。あそこは法相宗ですので、それだけの言葉として扱っておられましたけれども、私はそれを聞いて、それが実はお念仏なんだと。「万策ここに」、万策、分別ですね。「万策ここに尽きるとも 天あり地あり未来あり」、命そのものは分別で生きているんじゃないんです。それを超えて生かさせてもらっているんだと。その言葉を聞いたときに、「ああ、そうか」と立ち直ることができたわけです。念仏はまさにそうだと思います。念仏はそのときの、「ああ、そうか」が「南無」なんです。「天あり地あり未来あり」、これが阿弥陀の世界です。無分別、無為自然の浄土だということですね。そのことに気がつかれたということですけれども、私が聞いて、ああ、それは確かにそのとおりだなということに気づかせていただいたことがあるわけです。
 非常に散漫なお話でございましたけれども、時間がまいりましたので以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

(終了)


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