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第36号法話「今 いのちが あなたを生きている」 二回目

カテゴリー:法話集    更新日:2006 年 5 月 1 日

北原了義師(西照寺住職)

2005年11月23日  報恩講にて

私が以前にお聞きした講話を思い出したんです。京都の大谷大学の学長を務められました松原祐善という先生がおいでになりました。もう亡くなられて十五~十六年たちます。私のところで親鸞聖人の七百回の御遠忌をお務めしたときに、松原先生からおいでいただいて、そして講話をしていただいたんです。そのときの講題が「親鸞聖人と越後」だったんです。
 親鸞聖人と越後というのは非常に関係が深いんだということを申されまして、『歎異抄』が終わった後にもう一言、言葉がついています。これは『歎異抄』を書かれた人の言葉ではなくて、後につけられたものだろうと言われておるんですけれども、実は親鸞聖人が三十五歳のときに、時の権力によって流罪の身になられたのです。遠くに流されたというわけです。
 この流罪の記録というのがついておりまして、そこに、鎌倉時代の言葉ですので難しいですけれども、ちょっと読んでみますと
後鳥羽院の御宇、法然上人他力本願念仏宗を興行す。于時、興福寺僧侶敵奏之上、御弟子中狼藉子細あるよし、無実風聞によりて罪科に処せらるる人数の事。
一 法然聖人並御弟子七人流罪、また御弟子四人死罪におこなわるるなり。聖人は土佐国番田といふ所へ流罪、罪名藤井元彦男云々。生年七十六歳なり。
親鸞は越後の国、罪名藤井善信云々、生年、三十五歳なり。
浄聞房備後国、澄西禅光房伯耆国、好覚房伊豆国、行空法本房佐渡国、幸西成覚房・善恵房二人、同遠流にさだまる。しかるに無動寺之善題大僧正、これを申しあずかると云々、遠流之人々已上八人なりと云々、
被行死罪人々。一番 西意善綽房、二番 性願房、三番 往蓮房、四番 安楽房、二位法印尊長之沙汰也。

 法然上人のお弟子の中で四人の人が興福寺から訴えられて、時の権力者によって流罪の人が七人、死罪の人が四人あったと、こういうふうに記されているんです。往蓮房、安楽房というのはよくお話に聞いていると思いますが、鈴虫・松虫という朝廷の女御たちと一緒に念仏の集会を開いたというようなことから罪に問われて死罪になったというんですね。親鸞聖人も越後の国、国府というところ、直江津のちょっと富山寄りのほうですけれども、そこに流されて、五年の間そこで流罪人の生活をされたんです。
 この『歎異抄』には、さらに
「親鸞、僧儀を改め、俗名を賜ふ。仍って僧に非ず俗に非ず、然る間、禿の字をもつて姓となして、奏聞を経られをはんぬ。かの御申し状、今に外記庁に納まると云々。流罪以後、愚禿親鸞と書かしめ給う也」。
親鸞聖人自ら書物をお書きになるときは、必ず「愚禿親鸞」とおっしゃっているんですよ。源信寺のご住職の寺報の名前、「おろかなり」というのは、ここから取ったのでは……。親鸞聖人は自らを愚禿とおっしゃった。いつから親鸞聖人が自らのことを愚禿と名乗られたかというと、越後に流罪になったときからと、こういうふうに記してあるのです。
 「流罪以後、愚禿親鸞と書かしめ給う也」。だから松原先生は大変越後というのは親鸞聖人にとって縁が深いところなんだと。
 なぜ「愚禿」と名乗られたのかというと、やはり親鸞聖人が京都でいわゆるお公家さんの家に生まれて、そして比叡山の天台の修行をされた。いわば当時のインテリです。貴族に生まれて、そして最高の学問をする比叡山の延暦寺に入って、学んでおいでになった。まさに当時の日本にとってはインテリ中のインテリ、しかも今の言葉で言ったら都会人だと。その方が流罪になって初めて越後の地で土地の新潟の自然に任せた日暮らしをしている人たちに出会われた。そのとき親鸞聖人は初めて自分が、越後の人に触れることにおいて我が身の姿に気づかれたんだろうと。それで流罪以後、自らを「愚禿」と名乗られた。こういうふうに松原先生はお話しになってくださったんです。
 『歎異抄』の最後につけられている言葉なんです。そこに「流罪以後、愚禿親鸞と書かしめ給う」と。この言葉があったのに、私は今までそれに気がつかなかったということですね。
 このたびの山古志村の人たちの応対そのものから、やはり「ああ、そうか。親鸞聖人が出会われたのは、実はあの山古志村の人たちのような人たちではないか」。それが「愚禿」と名乗られる一番大きな機縁になったのではなかろうか。このように改めて思ったんです。
 そのことで私はまた一つ、思い出したことがあります。何かというともう山古志村の自然に任せたような日暮らしができない状況になってきているのが、現代という世の中です。これは先ほど雪をとめることができない、まさに自然に任せて、自然のままに生きるほかないところということを、私、申しましたけれども、それに比べまして現代の大半の生活というのはそういう生活ではなくて、そんな自然に任せたような日暮らしはできない。殊にそれが都会で生活する場合において、そんな生活は私どもにはでき得ないんですね。そのことをきちんと指摘された先生がおられます。
 これは昨年ですか、一昨年ごろになりますか、『バカの壁』という本があります。書かれた人は養老孟司という、前の東京大学の解剖学の先生です。『バカの壁』というのは何かというと、「現代人は実は脳の中に住んでいる。それは、東京を歩いてみればすぐわかる。目に入るものといえば人工物ばかりだ。人工物とはつまり、脳の産物である。脳がさまざまなものをつくり出し、人間はその中に住む。そこには脳以上のものはないし、脳以下のものはない。これを私は脳化社会と呼ぶ」。
 脳の中に閉じこもっている。それを『バカの壁』と言われたんです。自分がそういう脳の中に閉じこもっていることに気がつかないバカだと、こういう意味で『バカの壁』ということを言われたんですけれども、実は脳化社会。これは確かに私も今日、新潟から出てまいりまして、東京の町に来ますと、建物から道路から交通機関から何から、すべて人間の頭脳がつくり上げたものでしょう。「いやあ、東京にも自然がいっぱいあります」と言うけれども、あの自然公園にある樹木も人間の頭脳によって、ここにはこういう木を、ここにはこういう木をと、つくられたものですね。自然を利用してつくったものであって、やっぱり脳化現象の中に入るんですね。そういうふうに、今、東京だけではございません。それがどんどん地方に行っているわけです。ですから神戸の地震も、実は被害を受けたのは、いわば脳化社会によってつくられた都市が地震によって完全に壊滅したんですね。それが山古志の地震との違いだったわけです。
 今の私たちの生活というのは、そういった頭脳、もっと言うと人間が立場にしておるのは、人間の理性ですね。理性を立場にした生活しかできないんです。すべてのことを人間は理性で考えている。それで実は今年の一月、お正月のころだったんですけれども、NHKのラジオを聞いておりましたら、今の文化庁長官は河合隼雄という方です。有名な方です。京都大学の先生で、専門はユングの心理学です。立派な先生です。この方がNHKのお正月番組で対談をされました。そのときアナウンサーが尋ねたんですね。ちょうど昨年の暮れに、奈良で小学校から帰ってくる一年生か二年生の女の子を誘拐して、それを殺して道端に捨てたという事件がありましたね。犯人は捕まりました。たまたま今朝、来まして、また広島でそういった事件があった。そのとき、NHKのアナウンサーは河合文化庁長官に、「何でこんな悲惨な、残酷な、考えられないような犯罪が起きるんでしょう」と質問をしたんです。
 河合文化庁長官は、「本来、思うようにいかないのが人間の生活なんだ。人生はそんなに思うようにはいかない。ところが人間がさっきの脳化社会、頭脳で、科学というものをもって、いろいろな科学技術によって機会をつくり上げてきた。そして思うようにいかないものを科学技術でつくった機械で、それを思うようにしてきた」と。例えばけさ私が新潟の寺からここまで、長岡を七時十四分の新幹線に乗ったんです。そうしたら上野にもう八時五十四分に着きました。それで常磐線のホームまで行ったら快速が入ってきておりましたので、それに乗りましたら、九時十四分ごろには北千住に着いてしまいました。ああ、いくら何でも十一時からの源信寺さんのお話には早すぎると思って、駅の近くの喫茶店でもってコーヒーを飲んで時間を費やしてからこちらに寄せてもらったんですけれども、今の科学技術では新幹線でも早く着きすぎるぐらいです。昔だったら大変だったんですよ。三国高原を歩いてここへ来たら、それはもう、何日がかりで来なければならないんですよね。それがわずか二時間で北千住まで着いてしまう。
 そういうふうに人間の科学が、人間の思うようにいかないものを思うようにしてきたというのです。今、新幹線がそうであり、自動車がそうであり、それから人間はもともと空なんか飛ぶことができなかったものが飛行機を使ってできてきた。そういった、思うようにいかないものを思うようにいかせている最高の今のものは、コンピューターです。人間はコンピューターを使って、思うようにいかないものを全部思うようにしてやっておる。
 ところが、人間の科学技術でつくり上げたコンピューターや何かは、時には思うようにいかないことがあるんです。そのときはどうするかというと、いったんスイッチを切る。スイッチを切ってもう一度やり直しをすれば、また働いてくれる。それをみんなは思うようにいかないものは、スイッチを切ればまたもとに戻るというふうに錯覚しておるんだと。科学技術が生んだ頭脳化の現象として、子供の命をパッと切ってしまう。スイッチを切るのと同じ気持ちでやってしまえば、またやり直しができるという錯覚に陥っているんだと、河合隼雄さんはおっしゃっていました。
 なるほどなと思って私は聞いておったんですけれども、スイッチを切ればまたもとに戻ると。それもどうかとは思うんですけれども、心理学者ですからそういうふうにおっしゃったんでしょう。 
けれども、私は確かに思うようにいかないものを、人間の頭脳でつくり上げた科学技術で思うようにできると錯覚しているのは、これは確かにそのとおりだと思います。

つづく

法話中の皆さんの写真を写すのを忘れてしまいましたお詫びいたします。


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(2023 年 7 月 12 日)