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第35号法話「今 いのちが あなたを生きている」一回目

カテゴリー:法話集    更新日:2006 年 3 月 1 日

北原了義師(西照寺住職)

2005年11月23日  報恩講にて

昨年の源信寺様の報恩講にも寄せていただきまして、お話をさせていただきました。今年もまたお招きをいただきまして、これからしばらくお話をさせていただきたいと思います。昨年お話ししましたことは、こちらのご住職が寺報「おろかなり」に三回にわたって文章化してくださいました。大変なことだったろうと感心しておりますが、昨年寄せていただきましたときには、ちょうど一カ月前の十月二十三日に新潟の中越地震がございました。その一カ月後だったものですから、ほとんど地震の話をしておりまして、大変ご迷惑をおかけしたと思っているところです。
 地震が過ぎました後、私は全国あちこちの方から「地震、大変だったな」というお見舞いの言葉をいただいたり、またわざわざ訪ねてこられお見舞いを受けたりしておりましたが、その時おっしゃることに、関西で神戸を中心にした阪神大震災がございました。あのときの神戸を中心とした阪神の地域の方のテレビの応対と、中越地震で被災された方たちの応対とどうも違うとおっしゃるのですよ。「どう違うんですか」と言ったら、例えば、神戸の人たちは、行政の高速道路
のつくり方が悪いのだとか、救援物資も十分に行き届いておらんと、そういう意見がパッパッと出ると言うんですね。
 中越地震の、人たちに向けられると、「いろいろとご援助いただきましてありがとうございます」というお礼しか出てこないというのですよ。
 今年の七月、名古屋の隣、三重県の桑名という町がございます。あそこは昔から真宗の教えの非常に盛んなところです。歴史的にいいますと、織田信長に長島の大虐殺で真宗門徒が迫害に遭った歴史もございまして、あの長島の周辺は本当に真宗の教えをきく人たちが非常に多いわけです。その桑名の同朋大会を七月にやるので、そのときに私に来て話をしてほしいというのです。山古志村の方たちの応対がどうも違う、あれはどういうことなんだろうかと。どうもそれが真宗の教えとかかわりがあるのではないかと、役場の山古志村に問い合わせてみたら、浄土真宗の門徒は四割程度で、あと六割は真言宗とか禅宗とか、そういう宗派の方が多くて、特に真宗が多いということではございません、山古志村の村史は取りにいくことができませんのでご容赦いただきたいという返事だったというのですね。その辺のことを私に来て話をしてほしい、というご依頼だったのです。
 そうかなと思い、改めて山古志村の事柄や、地震を受けた地域の人たちの事柄をちょっと調べてみたんですよ。そうしたら、それは真宗関係の方たちだけではなくて、たまたま山古志村のすぐ隣、小千谷縮なんかで有名な小千谷市で出ておる『小千谷新聞』という地方紙があります。それにちょっと目をとめましたら、十月二十三日が地震の日でございましたけれども、十月二十九日に麻生太郎総務大臣、今は外務大臣になられましたけれども、麻生さんが見舞いに来ておられるんですね。そのことが『小千谷新聞』に載っていました。[震災七日目の十月二十九日、麻生太郎総務大臣が来市]小千谷市に来られて、[避難所の一つ総合体育館を見舞った後、市役所で関広一市長と対談。その中で大臣は、『市長、あなたの人柄なのか、ここは違うね』と切り出した。普通、被災してから1週間もたつと、避難生活者はイライラが生じ、私たち政治家が見舞っても何の変化や利益(りやく)もなく、大勢のマスコミが同行、避難者には迷惑この上なく、大抵の場合は私たち政治家に文句や時には罵声を浴びせられるが、ここでは違った。逆に『お疲れさんです』などとお礼を言われた]というのが、『小千谷新聞』に載っておったんですけれども、これはほかのところに行くと、被災から一週間といったらもう「政府は何をやっているんだ」「おれたちに何をしてくれたんだ」という文句が出たり、「このばかやろう」という罵声を浴びたりするのが普通なんだけれども、この小千谷市の避難所へ来たら「お疲れ様でございます」「ありがとうございます」というお礼の言葉が出てきた、と麻生総務大臣が市長に語ったということが、『小千谷新聞』に載っていました。
 山古志村というのは山でして、昔はあれを新潟県の二十村郷と言ったんです。山があって谷間に村が点在しておるんですね。そんなところから錦鯉が自然に出て、それを養殖して大変なお金持ちなんですよ。一匹何百万という値段の錦鯉もありますから。このたびはその養殖池が全部だめになりました。それから闘牛という、牛の角突きが有名です。棚田といいまして、昔の平野の田んぼと違いまして谷間に点々と山が天まで続いておるような、そこでできたコシヒカリがまたおいしいんですよ。それで、本当に自然に任せた山の生活なんですね。非常に雪が深いところです。それで二十村郷、今の山古志村に檀家をたくさん持っておいでのお寺さんのご住職としばらくお話をしました。二十村とはどんなところなんですかと聞きました。そりゃあ、昔は大変なところで、そこに行くには山道を歩くほかなかった。だから村でだれか一人亡くなられると、寺までお葬式の告げと申しまして、「どこどこのだれだれが亡くなりましたのでお葬式をお願いいたします」という、そういう連絡に来られる。それがお葬式の告げと言われています。山古志村から、今現在は長岡市になっておる長岡のほうの寺まで歩いてこられるそうです。そして、「どこどこのだれだれが亡くなりましたのでお葬式をひとつお願いいたします」と。「わかった。それじゃあ、いつお葬式にしよう」と。その日、すぐその方がまた歩いて帰っていくというわけにはいかないで、寺に一晩泊まって翌日帰られるというんですよ。その後でまたお葬式ですから、もう何日後にもなるわけでしょうけれども、ところが寺まで来て、その日お葬式をお願いしたいと言うと、「いや、実はほかに近在でその日はお葬式があってだめだから、もう1日お葬式を延ばしてくれないか」と。「わかりました、だけど私一人でお返事するわけにはいきませんので、いったん帰って、みんなに聞いてからご連絡いたします」。それから一晩泊まって翌日帰って、向こうで相談してまた歩いてきて、そこで初めて、「延ばしてもらっても結構です」という、そんなところだったそうです。
 話はちょっと余談になりますけれども、そこに道路をバッとつけて、そして何の不自由なく生活できるようにしてくれたのが政治家田中角栄さんですよ。谷間を開いてトンネルを掘り、道路をつくり。十分、二十分で山古志村に車で行かれるような状況にしたので、もう田中さんのおかげで村がまるっきり変わってきた。いやあ、本当によく開発してくださったと。ところがそうした山の道路というのは、山を削って谷間を埋めて、そこに道路をつくったわけですから、地震が来ると土を盛ったところが全部崩落したんです。それで地震の跡、村長の長島さんがまた本当によく対策されましたね。地震対策を講じて、そして一生懸命やられて。そして何とか村をしようということで努力された。よくテレビで長島村長、長島村長と出てくるわけですね。本当になかなかやり手の方です。かつての山古志村、二十村郷というのは本当に自然に任せた生活だったんです。
 今年私はそれをまた体験しました。今年一月末から二月初めにかけまして雪が随分降ったんです。それでどんどん雪が積もりまして、これは限度だなという。ところが雪というのは次から次へとどんどん降ってきますから、とめるわけにはいかんのですよ。それで地震を受けられて、家が傾いたところに雪が積もりますから、重量がかかってそれで倒れた家が随分あるんです。そのとき、何とか雪よやんでくれというふうに思うんですね。もう結構、何とか雪よとまってくれないかと。降るのをやめてほしいという、人間のそういった思いなんていうものは通じないんですよ、自然というものは。もう私どもがどう思おうと、こう思おうと、それとはかかわりなしに、どんどんどんどん雪が降ってくる。私自身も、「ああ、やんでくれないかな」と思ったんですけれども、なかなかやまない。もう真っ暗になって雪が降ってきます。なるほどこれが世の中、自然というのは人間の思うようにはいかないものだということですね。今年の雪で、私自身も本当に実感したんです。ですから、どうも山古志村の人たちはそういう人間の思いを超えた大きな自然の力の中で生活してきておった。そういうものが身についておるんですね。地震もどうも、そういう形で受け取られたみたいですね。人間の思いを超えた働きに遭遇したんだと。人間の意思や、人間の考えでどうこうすることはできない。そういうものを受け入れていく、そういう姿勢が実はテレビのインタビューを受けても、「いやあ、いろいろと」。そういう状況の中でも全国の人からいろいろと救援をしていただいたと。こちらの寺報を拝見いたしますと、お寺からも地震の救援金を随分たくさん拠出いただいたようでございまして、本当にありがとうございました。全国の方からそういった救援のものが届いてくる。それに対して本当に山古志の人たちは「ありがとうございます」というお礼の言葉を言われるので、そういう風土が生んだ人間の思いを超えた中に人間は生かされておるんだという、そういう思いがあの地域の人に共通しておるんじゃないかなと。そのように思われました。         つづく


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