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第97号「なぜ 合掌・お焼香なの」

カテゴリー:法話集    更新日:2021 年 7 月 1 日

なぜ 合掌・お焼香なの         源信寺住職
  通夜や葬儀、四十九日や法事に。必ずお坊さんは「お焼香をどうぞ」とお焼香を勧めます。いったいなぜお焼香をしなければならないのでしょうか。
 皆さんは疑問に思ったことはないですか。
 このお焼香は、お坊さんが「お焼香をどうぞ」とご案内する。それは、実はお焼香をすることが目的ではございません。
 お焼香をした後の「合掌」をしてもらうことが目的です。それなら初めから「合掌どうぞ」と言えばいいじゃないかとおっしゃる方もおります。けれども、それだと、この「お焼香を」という意味が、また違ってしまいます。実はお焼香は合掌する前の準備段階だと思っていただければ分かりやすいと思います。お焼香する、その香は、ちゃんとしたものは沈木(じんぼく)と言って土の中で木が朽(く)ちて、香りを出す香木になっていく。その香木は、ものすごい高価なもので、その高価なものを奪い合って戦争が起きるほど高価なものです。そのお香は、ものすごくいい匂いがします。「香道」と呼ばれてお香をたくさん並べて、そのお香をかいで、この匂いはこの香木、この匂いはこの香木と、いい当てるもので、「香道」といいます。その美しくきれいで、そして、心安らぐ匂いをかいで、まず、はやる心を落ち着かせて、静かに合掌に導くためのものです。
まずお焼香をして、その心を静めてくださいと。ダーッと走ってきて、「よし! ハッ、ハッ、ハッ」という合掌とか、ダーッと歩いてきて、ただ、「ハッ!」という合掌とか、そういうのではなく、まず自分の身を整えるためにお香をくべて、香のよき匂いをかいで、取りあえず今、自分のその気持ちをきちんと落ち着かせる。そして、身も心も落ち着かせて、静かに、合掌をする。そのためにまず、「お焼香どうぞ」と言って、その後の合掌を導いているわけです。
 話は、ちょっとそれますけれども、お香ですけれども、このお香、元々自分で持って行ってお焼香するのが、昔からの習わしです。ゆえに僧侶はお葬式等で、導師(僧侶)がお焼香をする時、ちゃんと自分で持って行ったお香を使ってお焼香をします。だから、皆さん方も本当は通夜や葬儀にお参りするときには、お香を持っていかないといけないのです。でも、今言うたように、大変高価なものです。今でもグラム何万円とします。そのお香をとてもとても買えない。これから斎場で葬儀がある。たくさん使わないといけない。だからお香を持って行けばいいのだけれども、とてもみんなが使うお香を持って行かれない。どうぞお香を買う、そのお金の足しにしてくださいと云って、持って行くから御香奠(おこうでん)になる。香典は葬式の足しにしてくださいと云って持って行くわけではないのです。これも一つ覚えておいていただければ何のために「御香奠」というものを持って行っているのかというものがお分かりになるかと思います。
 話をまた元へ戻します。先ほど云いましたように合掌するためにそのお焼香というのは僧侶が導いておりますけれども、じゃあ、今度はその合掌に、いったいどんな意味があるのだろうかと。何のために手を合わすのだろうかということになってまいります。
 それを今からお話ししたいと思います。インドで昔から直立に立って、縦の中心線、そして横の中心線、その真ん中で両手を左右対称に手を合わす。この姿が一番、人としてきれいな姿とされております。縦の中心、横の中心。ちょうどみぞおちの辺りです。 ここで右と左の手をきれいに合わす。この姿が人として一番きれいな姿だと云われています。 今でも確かにシンメトリと云って左右対称なのはきれいだとされております。そして、ここから転じて背伸びをしている姿は、それは見えを張ったり人を威嚇している姿。そして、ひざまずいている姿は自分を卑下したり、自分を低く見たり、自分を駄目な人間やと下に見てる、そういう心。ゆえに背伸びもせず、ひざまずきもせず、直立、立ったまま、それこそ身の丈、自分のありのままの丈、その身の丈を威嚇もせず、見えも張らず、卑下もせず、よきも悪きも、自分の性格のいいところも悪いところも、利点も弱点も、全てそのままの姿で左右対称に合わしたこの姿、この姿でお参りする、その先のものに正義を尽くすという、それがこの合掌することの意味です。
 そして、この合掌にはいろんな意味が含まれております。
 「ありがとう」という感謝、
 「すみません」というお礼、
 「ごめんなさい」という謝罪、
 「お願いします」という依頼、
 「お任せします」という信頼、
 「お任せください」という信用、
そして、喜び、悲しみ、後悔、懺悔(ざんげ)、それら全てがこの合掌の中に全て込められております。
 こういう例を申すと分かると思います。私が今日皆さん方に「夜、食事においで」と誘われます。私は「ありがとうございます」と言うて、その晩あなたのお宅におうかがいいたします。玄関でベルをピンポンと押して、ガラガラと戸を開けて、そして、「こんばんは、お招きにあずかり、ありがとうございます」とあなたはお迎えに出てくれます。そのお迎えに出てくださったあなたに私は、合掌いたします。この合掌にはこんな意味があります。「私みたいなものを、ようこそ今晩ご飯を食べにおいでと云って誘ってくれました、ありがとうございます、無事ここに着けました、どうぞこれから先はあなたにお任せいたします」という意味の合掌になります。そうすると、今度はお迎えに出てくれた、あなたが合掌して私に返します。その合掌には「私のような者の誘いにようこそ『うん』と言って、今日ここへ来てくれました、私も無事にあなたを病気にもならず迎えることができました、そして、あなたもけがをせずにようこそここへ来てくれました、これから先はどうぞ私にお任せください」という意味の合掌になります。つまり、今言うように、この合掌には全てが込められている。これが合掌です。
 もう一つ例を申すと、給食でも、どこでも、家でも、今はあまり言わないようになりましたけども、必ず「いただきます」と言って手を合わせて食べます。この「いただきます」の上には「いのち」がつきます。「いのちいただきます」。そして、「ごちそうさま」の上にも合掌して「いのちごちそうさま」とつきます。つまり、「いのち」あるものを殺して食べなければ、明日の私は生きていけないので。どれだけ殺生、生き物を殺すことが罪だと言われても、そうせずには、あした命を生きながれていくことは私たちはできません。だからこそ、手を合わせて合掌して、今言った意味の全てのことを、その合掌する対象物に対して礼節を尽くすという意味がこの合掌でございます。
 ただ単に、右の手と左の手を合わせて合掌する、このことの、たったこれだけのことにも、実はこれだけの深い意味が込められております。ゆえに仏事や、それから一週間一週間の四十九日までのお参り、通夜・葬儀に合掌するのはこの手を合わす、この姿で合掌する、その相手に対し礼節を尽くしているという姿です。どうか、そういうこともどこか頭の隅においていただいてお参りに、行かれるときに「お焼香」と言われた、その後、このことを思い出していただいて、手を合わせていただければありがたいと思っております。
 今日はこの合掌となぜ焼香をしなければならないのか、そしてまた、この合掌に込められた、その意味をお話しして今日のお話を終わらせていただきます。皆さん、どうもありがとうございます。


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