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第96号「運命は何によって決まるのか?」

カテゴリー:法話集    更新日:2021 年 4 月 1 日

「運命は何によって決まるのか?」
 これは私たちにとって、とても重大で大切な問題です。
 運命について先祖のたたり、タヌキやキツネがついているからと、云う人もいれば、運命は最初から決まっている、神がすべてを決めたと言う人もおります。
 お釈迦様は、これらをすべて否定されています。
では運命は何によってきまるのか、ハッキリと、それはそれぞれの行い(業(ごう))が、生み出した結果なのだと教えています。
 ですから私の運命だけでなく、この世界も、だれかが作ったものでもなけれは、支配しているものでもない、はてしない過去から成住壊空(じょうじゅうえくう)を繰り返しているのだと説かれています
 *成住壊空とは仏教で説く四劫(しこう)のことで、成劫、住劫、壊劫、空劫のことをいう。
 宇宙に存在する全ての生命体や物質や現象は例外なくこの四段階を繰り返しながら存在しているのです。
 この「四劫」で、人生をとらえてみるならば、
 「成」とは、誕生。青年期。「住」とは、壮年期。「壊」とは、老年期。「空」とは、死です。
また、「一日」にもたとえられる。
  朝は「成」。 昼は「住」。 夕方、夜は「壊」。 深夜は「空」。
ですから、今度は「一年」としてとらえてみれば、
  春は「成」、 夏は「住」、 秋は「壊」、 冬は「空」
 お釈迦さまは、宇宙は「成住壊空」を繰り返し、始まりのない始まりから存在しているのだ、と説かれました。
「成住壊空」とは、ものが生まれ、しばらく形をとどめ、やがて壊れ、空という状態になる、ということです。
 仏教に次のような話も伝わっています。
 釈尊がおられた時、第六天魔王なるものが大衆に説法していました。
「おまえたちは、おれが造ってやったのだ。おれは正しきものに味方する。だから、おれの言うことを聞けば福を恵んでやるが、おれに背いたことをすれば罰を下してやるぞ」
そこで釈尊が、第六天魔王を呼ばれて、
「おまえは何というでたらめを言うのだ。おまえの造った世の中というものがあるのか。この世の中はだれの造ったものでもない」と言われますと、
第六天魔王は、
「いや真理は、そうでございましょうが、こうでも申しておきませぬと、こいつらは何をするか分かりませんからね」と言ったという話です。
この話にあるとおり、仏教は宇宙創造説を否定し、万有は変化流転してやまないと説きます。
 ★まかぬ種は生えぬ刈り取らねばならぬものは、すべて自分のまいたもの、ばかりです。
 自分の運命を生み出したものはすべて自分の行いです。
 苦しいことも 楽しいことも 全部です。
 そして、これからの自分の運命も、また自分の行いが生み出していくのです。
「仏教は運命論なんですか? 」
 このような話をすると こんな質問を、よく頂きます。
 運命についてよく考えると必ず疑問になるところだと思います。
 「運命論とは何か」
これは決定論や宿命論とも言われることもあります。
 運命論とは未来は 神または超越的存在によってあらかじめ定められている、 とする考え方です。
ですから、みなさんの運命は、すでに決まっている学生なら目指す大学に受かるかどうか、今日の株価が上がるかどうか、今日、何時から雨が降るのかどうか、これも全部決まっている という考えです。
★結論からいうと仏教は運命論を否定しています。 仏教は運命論ではありません。
 お釈迦様が仏教を説かれた、当時のインドは大変、哲学思想運動が盛んで、すでに近代、現代思想に出てくるものは出そろっておりました。
これらを説いていた教祖を六師外道(ろくしげどう)といいます。その中でも運命論、決定論を説いていた者たちを 宿作外道(しゅくさげどう)といわれて、もっとも愚かな教えだと排斥(はいせき)されています。
 これら六師外道の邪説(じゃせつ)を打ち破って説かれたのが 仏教の因果(いんが)の道理(どうり)です。
 ここで外道とは どんな意味だと思いますか?
外道というと、頬に傷のある怖いひとを思い浮かべると思いますが、外道とは、道から外れる、ということで、もともと仏教の言葉です。
道:道理(真理)から外れた教えを外道と云うのです。
 仏教では大宇宙を貫く真理は、因果の道理と説かれます。 ですから、 因果の道理に反した教えを外道というのです。逆に、内道(ないどう)というと因果の道理に合致した教えということですから内道は仏教の別の言い方です。
 では、どうして運命は決まっているという考えは愚かなのか!?
  運命は決まっていません。
 まいた種は必ず生える、今日の私の行いが、明日の私を生み出すのです。
 仏教では、これさえあれば満足できる、幸せになれる、と人々が躍起(やっき)になって追いかけているものを「有っても無くても同じことだ」『有無(うむ)同然(どうぜん)』と喝破(かっぱ)します。   
「田なければ、また憂(うれ)いて、田あらんことを欲し(ほっし)、宅(たく)なければ、また憂いて、宅あらんことを欲す。田あれば田を憂え、宅あれば宅を憂う。牛馬・六畜・奴婢(ぬひ)・銭財・衣食・什物(じゅうもつ)、また共(とも)にこれを憂う。有無同じく然り(しかり)」(大無量寿経)
 「田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、有れば管理や維持のために、また苦しむ。
  その他のものにしても、みな同じである」といわれます。
 仏教は 未来の運命は全部きまってしまっているから、努力もすべて 意味がないのだという無気力な運命論(決定論)も、未来はまったく決まっていないから、どうにでもなるんだという、楽天的な自由論も、ともに否定しています。
 私たちの智恵は相対的ですから、右でなければ左、左でなければ右と振り子のように、いったりきたりを繰り返しています。
 調子のいいときは、「俺は何でもできるんだ!!」と有頂天になって、自分の言動を見失いがちです。 一方、失敗ばかりが続くと人生なるようにしかならないのだから、がんばっても仕方がないよ・・というあきらめモードになってしまいます。このような、ことをいったりきたりしてませんか?
 「未来の運命は決まっていないのだから、これからの種まき、しだいで未来は変えていけるんだよ。 まかぬ種は生えないのだから、努力を怠るものには、どんなよい縁がきても幸せ、という結果はやってこないのだよ。」これがお釈迦様の因縁果(いんねんか)の道理です。
 運命論も自由論も否定され、真実・因果の道理を明らかされたのは、仏の覚りを開かれたお釈迦様の絶対の智恵によるものなのです。
 運命は
  今日の私の行いが、明日の私を生み出すのです。→まいた種は必ず生える。


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(2015 年 4 月 22 日)