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第94号「終活とは」

カテゴリー:法話集    更新日:2020 年 10 月 1 日

盂蘭盆会法話  講題「終活とは」 源信寺住職 會谷順雄  
 大学生の就職活動「就活」に引っ掛けて、人生の終わりを想定して準備しましょう。と名付けられたのが「終活」です。相続の問題や葬儀やお墓の事、家族も知らない様なこと、もろもろを「エンディングノート」に書き込んで置き、「いざ」という時に備えるわけです。誰も「死」だけは絶対に避けて通れません。そこで、几帳面な人ほど、周りに迷惑をかけまいと「終活」に励むことになります。
 終活するとは、「迷惑をかけない」ことの最終形態と言えるかもしれません。しかし。迷惑をかけずに生きて、死ぬことなど本当にできるのでしょうか?
 以前、宗教評論家の方の講演を聞いたことがあります。その方のお母さんは「ぽっくり死にたい」「ボケたらみんなに迷惑をかけてしまう」と頻繁に言っていたそうですが、これに対してその方は、「あんたは生きている限り迷惑だ」と言い放ったというのです。私は、この話を聞いた時、本当にそうだと思いました。その方は「うちの母親だけでなく、すべての人間は、みな生きている限り、周りに迷惑をかけまくっている存在なのです」と、続けて「どんな人間でも迷惑をかけることが当たり前。それを無視して、死んだ後のことをすべて自分で決めようとする「終活」にはエゴがつきまとっています」と指摘しました。
 「迷惑をかけないこと」は日本人の美徳の一つと思われていますが、その意識が社会の中で過剰になりすぎて、「人は周りに迷惑をかけずに生きられない」という心理を無視してしまう。多くの人々にとって生きづらい社会になってしまったのではないでしょうか。
 仏教の中には「縁起」という教えがあります。縁起とは縁によって起こる。つまり、自分は世界のあらゆるものと関わっていて、それらのおかげで成り立っているということです。「縁起」の元となった「因縁生起」とは、仏教の根幹である「因縁果の道理」のことです。
 仏教を木に例えると、木の根っこや幹にあたるのが仏教の根幹である「因縁果の道理」ですから「因縁果の道理」を知らなければ、仏教は絶対にわかりません。因縁果(いんねんか)の道理について、詳しく聞いたことのない方は、ぜひ聞いて頂きたいと思います。因縁果の道理を深く理解しますと、善に励む気持ちが強くなりますので、聞かれたことのある方は、自分が人に話ができるようになることを目標に聞いて頂きたいと思います。
【因縁果の道理】
 自分は頑張って努力しているのになかなか報われないと思うこともあるでしょう。一生懸命、タネをまいても花開かないのは、まだ、花が咲く縁が来ていないからだと、お釈迦様は言われています。仏教の因果の道理は、因縁果(いんねんか)の道理とも言われます。
 モミ種がなければ、絶対にお米は取れないように、因(タネ)がなければ果(米)は絶対に生じません。しかし、モミ種だけではお米は取れません。日光や水、土や温度がそろって初めてタネが芽を出しお米になります。このように因(タネ)が果(米)になる助けの働きを縁(えん)といいます。精一杯、種まきに心がけていても思うような結果がでない時は、それはまだ、縁が来ていないだけです。縁が来れば、春に一斉に花が開く焦る必要はないのです。
 孟母三遷(もうぼさんせん)の教えは、環境の与える力を教えたものです。しかし、環境は縁であって因(タネ)ではありません。どんな素晴らしい先生に出会っても、自分が勉強しなければ、自分の成績はあがりません。どんな素晴らしい人を上司にもっても、自分が努力しなければ力はつきません。逆に環境に恵まれなくても、自分が努力した結果は全部、自分のものになります。いい縁を選ぶことは大事ですが、もっと大事なことは、どんな環境でも、より良いタネまきをすることです。環境は選べるものもありますが、選べないものもあります。しかし、今、ここで、自分がどんなタネまきをするかは、自分で決めることができます。そして、その結果は必ず自分のものになるのです。私は、この因果の道理に基づいて、様々な方の悩みにアドバイスをしています。原因はどこにあったのか、そして、どのように行いを変えていけばいいのかを、自らが気づかれると悲嘆(ひたん)に暮れていた方が、ガラリと元気になられ、これまでの苦しみを自分の人生だと受け入れ、前向きに進まれる姿に教えの深さを改めて知らされます。
・孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)  子供を教育するには、環境がたいせつであることを説いています。中国の春秋時代、孟子(もうし)の母は、最初、墓所の近くに住んでいたが、孟子が葬儀のまねばかりするのを見て、こんどは市場の近くに引っ越した。ところが、こんどは商人のまねばかりする。そこで三度目は、学校の近くに引っ越し、やっと安堵(あんど)したという故事によるものです。話は元に戻して、親鸞聖人は「歎異抄」の中で「一切の有情は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり」とおっしゃっています。これはつまり、「すべての生きものはお互いが、いつかどこかで兄弟であったかもしれないし、親子であったかもしれない」ということです。もし、そのような視点や考え方を持つことができれば、周囲の人に対する見方や関係性が変わってくるのではないでしょうか。私たちは周りの人々と支えあいながら生きています。支えあいながら生きているということは、そのまま「迷惑をかけあいながら生きている」ということです。ある方が書いた本のタイトルに「一人では生きられないのも芸のうち」(文芸春秋)というものがありました。もともと人間は「一人では生きられない」のですから、周囲に迷惑の気持ちを持ちながら、「お互いに迷惑をかけあう」「おたがいさま」を積極的に磨くことも必要なのかもしれませんね。今日は「終活」を縁として私たちの生き方をお話させていただきました。コロナがまだ終息しておりませんので皆様これからも気を付けてください。ありがとうございました。


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(2015 年 4 月 22 日)