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第92号「親鸞聖人一代記」

カテゴリー:法話集    更新日:2020 年 4 月 1 日

落語 「親鸞聖人一代記」   落語家 三遊亭右左喜 
 三年間やってまいりまして、簡単に前を振り返りたいと思います。
 親鸞さんは、承安三年に京都でお生まれになりました。貴族の息子として生まれまして、八歳の時に両親と死に別れ、九歳の時、比叡山延暦寺入門、二十年間修行いたしまして、この後に法然さんの専修念仏に大変感動し門下生になりました。承元の法難という事件にあいまして、親鸞さんは越後の国、今の新潟県に流されてしまいます。ここに大体七年間おり罪を許されまして、関東にやってまいりました。二十年間、精力的に布教をいたしまして、お弟子が何と百人以上できたのだそうでございます。また聖人から直接教えを頂戴したお弟子のことを、これを面授の直弟と申しまして。この直弟は、関東に散らばりまして、北は今の福島県、南は今の神奈川県まで、関東一円に広がったのだそうでございます。これが聖人の努力の結果だと思うわけでございます。この主要な方々の名前を記したものが『親鸞聖人門侶交名牒』といいまして、この門侶交名牒(もんりょきょうみょうちょう)に何と三百人以上の名前が書いてあるのだそうでございます。
 またその中から親鸞さんに力を尽くしたというお弟子がおります。これを親鸞聖人二十四輩と言って、二十四人いるわけでございます。一人ずつ言いたいと思います。一番が性信の報恩寺でございます。二番が真仏の専修寺、三番が順信の無量寿寺、四番が乗念の如来寺、五番が信楽の弘徳寺、六番が成然の妙安寺、七番が西念の西念寺、八番が証性の蓮生寺、九番が善性の東弘寺、十番が是信の本誓寺、十一番が無為信の無為信寺、十二番が善念の善重寺、十三番が信願の慈願寺、十四番が定信の阿弥陀寺、十五番が道円の枕石寺、十六番が入信の寿命寺、十七番が念信の照願寺、十八番が入信の常福寺、十九番が明法の上宮寺、二十番が慈善の常弘寺、二十一番が唯仏の浄光寺、二十二番が唯信の唯信寺、二十三が唯信の信願寺、この唯信は二人いる。二十四番が唯円の西光寺となっております。これが大変に有名な二十四輩でございます。百人以上のお弟子がおりましたから。何とこのお弟子が例えば十人できます。そうしますと千人のご門徒ができるわけでございますね。孫弟子がご門徒をまた百人取ってごらんなさい。何と関東で十万人以上です。十万人以上の方が、親鸞さんの教えを聞いたのだそうでございます。これは第一回目のお話で、親鸞さんは京都の頂法寺(六角堂)という所で、救世観音の夢のお告げを聞いた。この時に救世観音が「私の話を全ての人々にお話をしなさい」、こう話したところで東の空を見ると、険しい山々に十万人以上という方が集まっており、そこで自分が話していたというところで、目が覚めたのだそうでございます。実は夢で見たことが現実的になったのだそうでございます。僧侶というのも師弟関係でございます。実は、我々、落語家も師弟関係でございます。私も三十何年前入門したのです。私の師匠を知っています? 三遊亭圓右という師匠です。圓に右と書いて圓右というのです。平成十八年に亡くなりになりましたが、皆さん覚えているかな。昔テレビのCMによく出ていて、エメロン石鹸の宣伝。ネコと一緒かなんかで、「こんな格好で失礼します」覚えていない?その後、十年後ぐらいにCMで、大人用おむつアテントっていうの。「ぎんさん、今日も元気だぞ」なんて、頭のつるつるのおじさんでございます。実はこのアテント、私もCMに出る予定だった。撮ったのですが、駄目になっちゃった。どうしてかといいますと、設定が悪かったのです。私が病院に入院して、胸元に布団を掛けまして師匠がアテントを持ってお見舞いに来る。私がカメラに向かって言うのですよ。「じとじと、いやいや」、こう言ってますと師匠が「ほらアテントだよ」って言ったら「まあ、さっぱり」って言うの。くだらないでしょう。駄目になっちゃったの。なぜかというと、私があまりにも健康体であったという。悲しい出来事があったわけでございます。
 親鸞さんは関東でもう一つ大事なことをやっております。これは親鸞さんの著書でございます。元仁元年(1224)でございまして、親鸞さんと恵信尼さんの末っ子でございます覚信尼さんが生まれたときに、実は本を書いた。これが有名な『教行信証』というものでございます。この『教行信証』というのは、親鸞さんの思想を整理、また確認した著書といわれておりまして、これの正式名称、『顕浄土真実教行証文類』というのです。これは六冊からなっております。「教・行・信・証・真仏土・方便化身土」でございます。教巻でございます。これは真宗では一番大切といわれる本でございまして、まず序から始まっている。序には大変に阿弥陀佛をたたえる言葉から始まっているわけでございまして、これは、往相回向と還相回向というのが書いてある。難しい話になりますよ。
 回向って何か分かります? 回向。みんなカラオケ行くでしょう。そのエコーじゃない。回向というのは、「回」は回転(えてん)、「向」は趣向(しゅこう)の意であり、自分自身の積み重ねた善根・功徳を相手にふりむけて与えること。
では往相回向というのは、自分の善行功徳を他のものにめぐらして、他のものの功徳として、ともに浄土に往生しようとの願いをもととして説かれる。これを往相回向。では、還相回向というのはお浄土に、われわれは往生します。人間界を見ると、大変に苦しんでいる人がいる。もう一回このわれわれの苦しい世界に帰ってまいりまして、お浄土にいざなうことを、これを還相回向と言うのだそうです。
 ある時、法話を聞いたのです。武蔵野大学に居られるケネス田中先生というアメリカ国籍の方で、僧籍を持っている方でございます。この方が往相回向と還相回向について話していた。先生が分かりやすく説明した。これは人間というのは溺れる船乗りだというのです。人間が生まれる。船に乗りまして大海へ出て行く。物心つきますと、この船から人間が落ちてしまうと、海の中で苦しいでしょう。そうすると溺れるから、もがく。もがけばもがくほど、人間というのは水の中に沈んでいく、また苦しいからもがく、そのときに、天から阿弥陀仏が言うのです。「体の力を抜いてごらんなさい」、体の力を抜くと自然に浮くのです。苦しくなくなるのです。そうすると自分がはっきりと分かってくる。周りが見えてくるのだそうです。周りでは、「たくさん苦しい人が溺れている。向こうのほうを見ると、大きな島がある。これがお浄土なのだそうでございます。自分を認めて周りが見えて、あそこに行かなくてはいけないのだというので、自分の力で動く。お浄土へ行く。往生をする。これが往相回向。自分を認めて体の力を抜いてお浄土へ行くと、往相回向。還相回向というのは、お浄土で生まれまして、周りをみるとたくさんの人間が苦しんでいる、もう一回海の中へドボンと入りまして、苦しんでいる人に、「力を抜いてごらん」と言ってお浄土にいざなうということを、これを還相回向という」のだそうです。親鸞さんはこの『教行信証』を書くのに、親鸞さんは九十歳で亡くなるのですが、ずっと手直しをしていたというわけでございます。
 親鸞さんは関東に来て、二つ大きなことをした。ご門徒をつくり、この真宗の教えを関東一円にずっと広めた。これは大変なことでございます。もう一つ、『教行信証』を書いたということは、関東での親鸞さんの偉大な功績でございます。
 親鸞さんは関東に居まして、いろんなことをした。伝説が残っているのです。今日は済度(さいど)。済度って分かります?。済度というのは、これは国語辞典に載っておりました。済度というのは仏が苦しむ人々を、悟りの境地であります彼岸に導くことを済度というのだそうです。苦しむ人をお浄土にいざなうことを、済度といいます。関東で有名な話では、大蛇済度でございます。これは、栃木県下野市国分寺花見ヶ岡という所に、蓮華寺というお寺さんがある。ここに伝わる伝説でございまして。この辺一帯を治めておりましたのが、川合兵部という武士でございます。治めておりましたから、人間、お金が余る。そうしますと男というのは、三道楽というのに、はしるわけでございます。飲む、打つ、買う。飲むはお酒、打つはばくち、買うは女性。大体お金がありますと、ここにはしるのは男性でございます。実はこの川合兵部というのはお酒が飲めなかったので、女の子が好きだった。だから奥さんがいるのに、あちらこちらに女性をつくって、とうとう本気になっちゃったりして、うちに帰らなかったのだそうでございます。奥さんは大変に嫉妬深い方。「くーっ、あの女がいるからあたしのところに帰ってこないのだ」ってんで、この奥さんが角がぎゅっと生えまして、口がぐっと耳まで裂けまして、体中うろこが、出まして、壱匹の大蛇になったのだそうでございます。「あたしがこんな姿になったのは、あの女がいるからいけないのだ」と、この大蛇がその女を食い殺してしまって、旦那まで食い殺し、池にサブンと深く淵に落ちていきまして、「あたしがこんな姿になったのは、女がいるからいけないのだ。そうだ、全部女を食い殺してやろう」、村で女性に会うと毒気を掛けましてみんな食い殺したのです。村人は、これはたまらないと、年に一度生け贄を出すから勘弁してくれと、九月一日に生け贄を出すということになったのだそうです。毎年、村から若い女性が生け贄になるのですが、これがくじ引きで決める。八島神社の宮司で、大澤友宗という方の一人娘に、当たっちゃった。友宗はがっかりして「一人娘を、生け贄に出さなくっちゃいけない。何とかならないかな」とこう思った時、親鸞さんが通りまして。「親鸞さんお願いします。どうか娘を助ける手だてはありませんでしょうか」。親鸞さんは、こう言ったのです。「その娘が大蛇に食われるというのは、この娘の前世の業が拙かった。これは仕方ない。大蛇に食われるのも、これは仕方ないことだ。ただお念仏さえ唱えたならば、次の世は極楽浄土に必ず生まれ変わるでありましょう」と、こう言いますと、この娘は大変に喜んだ。次の世は極楽浄土に生まれ変わると言われたのですから、「分かりました」というので両親に別れを告げ、親鸞さんにお念仏の阿弥陀仏の教えを説いてもらいました。九月一日の晩でございます。池の台座に座りますと、大蛇が、やってまいりまして、この娘を飲み込もうと思った時に、この娘はお念仏を唱えると、大蛇はお念仏の威力により、池にサブンと落ちてしまった。この娘は、お念仏により命は救われたのだそうでございます。翌朝帰りまして両親に会い、親鸞さんにお礼を言う。「ありがとうございました」というので、この娘は弟子入りし得度をいたしまして、法名を「念妙」と頂いた。念妙というのは、念仏は素晴らしいという意味なのだそうでございます。
        つづく


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(2023 年 7 月 12 日)