« »

第89号 「親鸞聖人一代記」

カテゴリー:法話集    更新日:2019 年 6 月 30 日

落語 「親鸞聖人一代記」   落語家 三遊亭右左喜 
 前号より 弁円、とうとう頭にきて、「こんなまどろっこしいことをやってられない。よし、直接稲田の草庵へ行って一刀両断にしてくれる」、なんと弁円は剣と弓を持ちまして、稲田の草庵の門に仁王立ちになり、割れ鐘のような声を出しまして「おい、親鸞! 出てこい! この弁円が弥陀に代わって成敗をしてくれる。親鸞、出てこい」「親鸞様、大変でございます。弁円が剣を振り上げまして、門の前で待っております。どうぞ裏から安全な所へお逃げくださいませ-」。
 そんなこと、私が聞いてごらんなさい。そりゃ大変だ、ビューっと逃げちゃいますけど、親鸞さんはそんなことしないで、「もしも、この親鸞が弁円の立場であれば、親鸞もそうするであろう。恨むも恨まれるも、ともに仏法を伝える尊い身である。皆の者、私の身を案じてくれるのは大変うれしいが、阿弥陀仏から受けた恩のことを思えば、じっとはしてはおられませぬ」。親鸞さん、数珠を持ちまして弁円の前へすっと立ちはだかる。弁円、剣を振り上げて今にも親鸞さんを斬り殺そうと、ものすごい形相でございましたが、弁円が一瞬立ち止まった。親鸞さんが「よく来られました」と、両手を前へ差し出さんばかりに大変な笑顔。仏か菩薩か。これが今まで敵と思っていた親鸞なのか。弁円の体から殺意がスーっと消えてしまいました、剣をポロッと落として、膝をトーンとつきまして、弁円の目からポロポロポロポロと後悔の涙が流れたのだそうでございます。
 「ああ、俺は間違っていた。弁円一生の不覚であった。親鸞殿、どうぞお許しくださいませ。稲田の草庵の繁栄をねたみ、親鸞殿の命を狙ったということは、この弁円、鬼であった。誠に申し訳ございません」。
親鸞さん、弁円の肩に両手を置きまして、「弁円殿、そなたは正直者です。思いのままに振る舞われる、その素直なところがうれしい」
「親鸞殿、こんな弁円でも救われますでしょうか」
「何をおっしゃる、弁円殿。この親鸞も弥陀の本願で救われた身です。何を嘆くことがありましょうか」
「親鸞殿、どうぞこの弁円を、弟子の一人としてお迎えくださいませ」
「弁円殿、この親鸞には弟子は一人(いちにん)もおりませぬ。ともに弥陀の声を聞かせていただく御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)である。喜ばしい友であり兄弟なのでありますぞ」とこう言われまして、この弁円が親鸞門下の一人となりまして、明法房として生まれ変わったのだそうでございます。
 茨城県石岡市大増というところに大覚寺というお寺がございまして、ここは弁円ゆかりの寺といわれ
ております。 ここに説法石という石がありまして、大覚寺の山門を右のほうへ入って真っ直ぐに石碑がございます、「親鸞聖人説法石并(および)天蓋樹(てんがいじゅ)」と書いてある。天蓋樹というのは、ひさしのようになって説法石を守っている木のことなのだそうでございます。幅が七〇センチ、長さが一八五センチの平らな石があるのだそうです。
 親鸞さん、この平らな石に座りまして、弁円に弥陀の本願の話を百日間したのだそうでございます。このとき、弁円一人だけじゃございません。弟子三十五人全員一緒にこの石に座りまして、弥陀の本願の話を説いて聞かせたといわれる説法石という物があるのだそうでございます。また、大覚寺にはこの弁円の後悔の「懺悔(ざんげ)の像」という、悔しがっている懺悔の像がありまして、対照的に「親鸞聖人御満足の像」という、大変にこやかな座像があるのだそうでございます。
 また、板敷山には、のろい殺す護摩壇、実は中腹にあるのだそうで、また山道には弁円が歌を詠んだ歌碑があり、「山は山 道は昔とかわらねど 変わりたるはわが心かな」、私の周りの山々も 今歩いている道も、昔とちっとも変わりませんが、すっかり変わったように思えるのは、呪術の山伏から信心の念仏者に変わった、私の心が変わったから変わったように見えるのでありましょうかという、こういう歌なのだそうでございます。
 大変に有名な弁円の話でございますけども、また親鸞さん、いろいろ布教をしております。これは嘉禄元年一二二五年正月八日の日でございます。常陸国と下総国の国境沿いをずっと約三〇キロまいりますと、柳島という所があるのだそうです。ここは大変な沼地でございました。日はとっぷりと沈んでしまいまして、民家は一軒もございません。今晩泊まる宿もございません。親鸞さん、まあ仕方がないから路傍にございます大きな石の上にうずくまりまして、お念仏を唱えながら一夜を明かそうと、ブツブツお念仏を唱えておりますと、東の空に明けの明星が輝くときに、一人の童子が現れ、右手に柳の枝を持ちまして、左手に小さな袋を持った童子が、親鸞さんの耳元で歌を歌ったのだそうでございます。
「新しい朝が来た 希望の朝だ」、親鸞さん「あ、いけない。ラジオ体操に遅れちゃう。ハンコウをもらわなくっちゃ」って。そういえばラジオ体操というのですが、あれ実は子ども会の会長を六年やっていたんですよ。ラジオ体操の当番もやった。ラジオ体操のカードって覚えているでしょう。あれ、どこでもらえるか知っていますか。結構これ知らない。私はたまたまもらえるところを知っているのですよ。あれはもうずっと五〇年以上前から、ラジオ体操のはんこのカードってあるのです。あのカードはどこが発行しているか。郵便局なのです。知らなかったでしょう。私も驚いた。飲みに行ったとき「あれどこでもらうか知ってる? 今でも郵便局でくれるのだよ」って。どうか自慢してください(笑)。さっきも言ったように、私はラジオ体操の当番でございまして、私が行かないと実はラジオ体操が始まらないのです。うそだと思うでしょう、本当なのですよ。なぜかといいますと、私がラジオを持って行く当番なのです。だから私が行かないと始まらないのです。脱線しちゃいました(笑)。
 童子が現れまして、親鸞さんにこう言ったのだそうでございます。「白鷺(はくろ)の池のみぎりには、一夜の柳枝青し般舟(はんじゅ)の磐(いわお)の南には、佛生国(ぶっしょうこく)の種生いぬ」とこう言ったのだそうでございます。どういう意味かと申しますと、中国の仏教の聖地であります白鷺の池の岸には、一夜で柳が青々と育つでありましょう。仏に会える大きな石の南側というのは、インド伝来の菩提(ぼだい)樹の木が育つでありましょうと、こういう意味なのだそうでございます。
 親鸞さん、いきなりそんなことを言われたものですからびっくりしまして、「あなたはどなた様でございますか」と聞くと、「私は明星天使であります」、明星食品の……ちゃうちゃう。「明星天使であります。今、あなたが座っている大きな石の南側というのは昔、釈迦如来が教えを説いたという聖地であります。そこが衆生済度(しゅじょうさいど)の地になることが待たれております。早くそこに寺院を建てて、これを植えなさい」と言って、柳の枝と菩提樹の種をもらったのだそうでございまして。
 またこの明星天使というのは、実は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)と同体なのだそうでございます。虚空蔵菩薩というのは、はかりしれない知恵がある。これは大空、虚空である、広大無辺であるという意味なのだそうでございまして、また北関東というのは大変に雹(ひょう)、また落雷が多かった。虚空蔵菩薩というのはこの雹、落雷から守ってくれると信じられておりますから、北関東は大変、虚空蔵菩薩の信仰があるのだそうでございます。
 親鸞さんも「ふーん、こんなところに寺が建ちますかね」。まあ仕方がない、もらっちゃったものですから、石の南側にこの柳の枝を挿しまして、菩提樹の種をまいたのだそうです。まだ朝が早かった。親鸞さんは石の上でつい、うとうととしておりますと、目が覚めると、さっきまで沼地だった所がしっかりとした高台になり、なんと、さっき植えた柳の枝と菩提樹が、青々と繁っている大きな木になったのだそうでございます。
 親鸞さんは大きな石の上で虚空蔵菩薩、仏に会ったということは白鷺の池と同じ、聖地であるということなのだそうでございまして、またここは柳島という所だったのですが、ぐっと高台になった。沼地が高台になりまして、田が、高い所で、できるようになった。柳島から高田となった。ジャパネットじゃないですよ。
 高田と呼ばれるようになりまして、真宗十派のうちの真宗高田の本山が、ここにあるのだそうでございますが、近くにございます真岡城の大内国時という方の援助を得まして、ここにお寺を建てた。これが専修寺という、高田派の本山(現在は三重県津市)でございます。
 親鸞さんは大きな石の上で菩薩、仏に会った。これは大変な能力なのだそうでございます、僧侶が。菩薩に会いますと、極楽往生間違いなしといわれておりまして、先ほども出ました唐の善導大師という方が、『般舟讃(はんじゅさん)』という書物を書いた。これは長い長文の漢文でございまして、これを唱えながら修行いたしますと、阿弥陀仏と西方浄土が見られるというふうに信じられておりまして、親鸞さんは大きな石の上で仏に会った。ですからこの石のことを、「般舟石(はんじゅせき)」と呼ぶのだそうでございます。これは真宗高田の本山でございます専修寺の、ちょっと外れた所に、今はあるのだそうでございまして、幅が十七センチで一メーター、これぐらいの平らな石があるのだそうでございます。
 なんか今日は最初からいろいろ話しているのですが、石の話が多いんですね。ナンマイ橋の垣生の話。それから説法石の話。今は般舟石の話。親鸞さん、石の話が多いのですね。なぜか考えたらよく分かりましたよ。親鸞さんというのは頑固者、意思が硬かったのです。
 ちょうど一時間となりました。親鸞さん、関東にやってまいりまして、まだまだ不思議な話もございまして、実はこれから京都に帰るのですが、九十歳で亡くなります。来年その話をやりたいと思います。まだできていないの(笑)。一生懸命考えたいと思います。今日は関東編でございます。どうもありがとうございました。(拍手)    おわり


法話集の一覧に戻る    トップページに戻る

源信寺について

五明山源信寺について

東京都足立区千住大川町40-6(地図

お問合せはこちらから

TEL : 03-3881-7506    FAX : 03-3881-7694

真宗大谷派 五明山 「源信寺」(北千住)
おろかなり おろかなり

源信寺に咲く花


(2023 年 7 月 12 日)