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第86号 「布施について」 

カテゴリー:法話集    更新日:2018 年 10 月 1 日

  布施について
 仕事が忙しくなってくると言葉使いや態度が荒々しくなりがちなので気をつけなくてはと、自戒する今日このごろです。
 そんなことでは自分も相手も、イヤな気分になるばかりです。逆に、優しい言葉使いや態度に触れると幸せな気持ちに包まれます・・・
 余裕のないときはなかなか難しいですが、そういう言動に、心がけたいものです。
 昔から「情けは人のためならず」といわれます。
 人に情けを施せば、巡り巡って、施した人のためになる。西洋にもよく似たことわざがあります「牛乳を飲む人より、配る人のほうが健康になれる」というそうです。人に幸せを施せば、施した人も幸せになれる。それは、洋の東西を問わず、多くの人が実感してきたことなのでしょう。
 仏教では、これを「自利利他(じりりた)」といいます。反対に、施しを嫌い、自己中心的なのを「我利我利(がりがり)」といいます。「自分さえよければいい」という考えでは、誰からも愛されません。結局、孤立して、破滅の道へ向かうのです。
 そんな我利我利亡者(がりがりもうじゃ)の行き着く先は地獄だと仏教では説かれています。
 こんな話が伝えられています。
 ある男が、【地獄】を見物に行きました。ちょうど地獄は、昼時で、食卓には、亡者が ズラリと並んでおります。「どうせ ロクなものを 食べては おるまい」と思ってテーブルを見ると、なんと、山海の珍味の山ではありませんか!!ところが亡者は、みな、骨と皮ばかりに やせ衰えているのです。
「はて、おかしいなァ」と よくよく見ると、一メートル以上もある、長い箸が置かれていました。
これでは、自分の口へ運ぼうとしても 入りません。
結局、ひとくちも、口に できぬまま食事は終わりました。「やっぱり地獄はひどいところだ……」と思った男は、ついでに【極楽】へも行ってみました。
極楽は、夕食時で、テーブルには、まるまると肥えた極楽の往生人が座っています。無論、テーブルは、山海の珍味。しかし置かれていたのは、なんと、地獄と同じ一メートルもの長い箸だったのです。「はて、地獄と極楽では どこが違うのか?」食べ始めるのを見て、そのワケが 分かりました。極楽の住人たちは、長い箸で、挟んだごちそうを、自分の口に運ぼうとはせず、向かい側の人に食べさせていたのです。こうして、お互いが、相手のために箸を使い、皆で食事を楽しんでいたのでした。「なるほど、極楽の人は心掛けが違うわい」と、男は感心しながら帰ったそうです。
 人に施しをすることを、仏教で「布施」といいます。お釈迦さまが教えられるとおり、「布施」を実践していけば、「他を生かし、己も生きる(自利利他)」となります。「布施」は、幸せの輪が限りなく広がる尊い行いなのです。また、仏教では、明るい挨拶や、優しい微笑みなども「布施」と教えられています。仏教で「布施」とは「施すこと」「与えること」をいいます。
 「施しは 生きる力の 元(もと)と知れ」と、昔から、いわれます。人に幸せを施す人は、周囲から大切にされ、愛されます。助け合って生きていけるので、生きる力が湧いてきて、幸せになれるのです。反対に人に施しをしないで、自分に有利なことばかり考えて過ごしていると、みんなから孤立し、寂しい人生になってしまうのでしょう。そして、お釈迦さまは、たとえ お金や財に恵まれていなくても、気持ち一つで布施はできますよ と、「無財の七施(むざい の しちせ)」(雑宝蔵経)を教えられています。
 無財の七施(七つの布施)について、紹介いたしましょう
●一、眼施(げんせ)
 優しい眼差しで、周囲の人たちの心を、和ませることです。「目は、心の鏡」とも いわれます。失敗して落ち込んでいる時なら なおさらです。なごやかな光をたたえた 優しい瞳に接すると、励まされ、慰められ、癒やされる……。誰しも、そんな経験があるのではないでしょうか。
●二、和顔悦色施(わげんえっしょくせ)
 優しい笑顔で人に接することです。山彦のように笑顔は笑顔を呼び、幸せの輪が広がって、人間関係をスムーズにします。
●三、言辞施(ごんじせ)
 優しい言葉をかけることです。「年を取ると、贈り物は要らないの。優しい一言がうれしい」と、ある方から聞きました。心からの優しい言葉は、どれほど相手を喜ばせるか、計り知れません。
●四、身施(しんせ)
 肉体を使って人のため社会のために働くこと。いわゆるボランティアですね。
●五、心施(しんせ)
 心から感謝の言葉を述べることです。「ありがとう」「すみません」たったの五文字が、どんなに、家庭や職場を明るくすることでしょう。
●六、床座施(しょうざせ)
 場所や席を譲り合う心遣いです。乗り物の座席の取り合いや、権力の座の奪い合いを見ると、いかに、この床座施が大切か 知らされますね。
●七、房舎施(ぼうしゃせ)
 訪ねて来る人があれば、一宿一飯の施しをして、その労をねぎらうことです。
 まかぬ因(タネ)は、絶対に生えませんが、まいた因(タネ)の結果は、必ず、まいた人に現れます。無財の七施は、幸せの種まきです。大いに種をまき、仏法を聞いて、幸せな人生を歩みたいものです。
 お釈迦様が繰り返しその功徳を教えられ、勧めていかれたのが『布施』の精神です。お釈迦様は、繰り返し説かれたのは、わたしたちが何度聞いても忘れがちで、信じられないからでしょう。私も布施については何度も法話したり、何度も書いて自覚して、わが身に言い聞かせています。
 お釈迦様は、『幸せになりたかったら、与えることだ』と説かれます。人の幸せを、奪い取ってわが身が私服を肥やす、のは論外としても『ギブ&テイク』という考えも捨てること。これだけ与えたんだから、これだけは等価としてかえってくるだろう、という計算を捨ててかかる。どうしてもわたしたちは、相手から取ることばかり考えてしまいがちです。
ここにりんごが5つあります。
 5つのりんごを2つ相手に渡すと、自分の取り分が3つになる。そんな計算をし始めると「与えたくない、いやだ」と思いますが、実際は2つ与えると、こちらの5つのりんごは6つにも7つにもなっているから不思議です。計算が合わない。
 なぜか与えている人が恵まれるようになり、もらって得しようと思っている人が、実は損をしています。
 【布施(親切)の種を蒔くと、必ず果報(幸せ)は花開く】とお釈迦さまは説かれます。
 人の物を自分のものにすることばかり考えているから幸せになれない、と説かれています。精一杯与えているのに、見返りもお礼もない、そんな人がいると釈然としない気持が、でてきますがその心を乗り越えていけるかどうか? なのでしょう。
【蒔いた種はかならず生える】
 そんな人がやがて「今まで申し訳ないことだった、それなのに力いっぱい支えてくれていたのか。」と感謝して、思いがけないほど返してくれるものです。
何事もまず与えること。
 ▼お金が欲しければ、お金を与えよう。
 ▼お客が欲しければ、お客を紹介しよう。
 ▼情報が欲しければ、情報を提供しよう。
 思い切って相手に与えると、思いがけないほど戻ってくるのです。
 リストラをされたサラリーマンが、妻子がいるのに、わずかな退職金で放り出された、そんな人の生活を追ったドキュメンタリー番組をNHKでやっていました。自分より若い者に「はい、はい」と指示を聞いて、こき使われているのですから、屈辱的な気持ちだろうな、と思います。自分だったら耐えられるだろうか、という気持ちになって、見てしまいました。若い人に混じって、あの年で動き回るのは大変だろうと思います。投げ出したくもなるだろう、しかし妻子がいるのですから、自分の甘えに任せてはおけないのでしょう。自分の心と必死に戦って駆けずり回っているのが画面から伝わってきました。
子供の学費もある、家賃も払わなければならない自分が頑張らなければと、なりふり構わぬ姿に胸を打たれました。
 旦那(だんな)とは、仏教では『布施する人』のことです。いつの世でも、こういうことは繰り返されてきたことと思います。妻子を苦しませてはならない、少しでも楽をさせてやりたいと、与えることに全身全霊の父親の姿を『旦那(だんな)』と言われるようになったのでしょう。
 大将が後ろから「かかれ、かかれ」と指揮しても、兵は勇ましく動かぬ。 ここぞと思うときは、大将が「俺に続け」と先がけすれば、家来は見捨てぬものだと、戦国武将、蒲生氏郷は語ったと言います。
 家庭がギクシャクしている、これもその原因は妻や子供ではない、自分の言動を変えることが鍵です。
まず自分が燃えなかったら、他の人が真剣になるはずがないのです。まず自分から。
 大きな火も最初はマッチ一本からです。線香にさえなかなかつかない火ですが、一旦ついたら町一つ燃やしてしまう。要は自分がマッチの役目ができるかどうか、この一点です。自分からまず火を出さないと始まらない。「まず汝自身を燃やせ しからば他を焼かん」「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ばか」っていうと「ばか」っていう。「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。そうして、あとでさみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、だれでも。 (金子みすゞ)
 この詩が言うのは、こちらが「遊ぼう」と言わなければ、相手は「遊ぼう」とは言ってくれない。また、こちらが「ごめんね」と言わなければ、相手が「ごめんね」と言うこともうない、ということです。
【呼べば呼ぶ 呼ばねば呼ばぬ やまびこぞ まず笑顔せよ みな笑顔する】という歌もあります。
 やまびこは「ヤッホー」とこちらが呼べば返ってくる。呼ばねばもちろん返ってはきません。
 同じようにこちらが笑顔で、心を開いて接すれば相手も心を開いて、笑顔で接するようになるということです。相手が心を開かないのは、こちらが心を開いていないから。挨拶してこないのは、こちらが挨拶に心がけていないから。自分が相手に笑顔で接していないのに相手が自分に笑顔で接しない、とイライラしているのは、こちらが呼ばないのに、やまびこの声が聞こえない、と怒っているようなものです。まずこちらから、上司と部下の間柄でも、夫婦の仲でも、親子間でもいずれの場合も、心がけていきたいものです。
             おわり


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