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第75号 「親の恩」について

カテゴリー:法話集    更新日:2016 年 1 月 1 日

「親の恩」について
「恩」ということをクローズアップしてみました。漢字はよくできていて字の成り立ちを知ることで、その意味をより深く理解し、味わうことが出来ます。
「恩」という字は「原因を知る心」と書きます。「おかげさまで」という心です。
 生まれてから今まで、私たちは、あらゆる有情・非情から恩恵を受けて生きてきました。
 有情とは、両親や家族、先生や友人などのこと、非情とは、太陽や水、空気など心のないものをいいます。自分が、生かされているのは何のおかげかを知れば、感謝し、何とかお返ししたいという心になるでしょう。
仏教ではこれを
 ◆知恩(恩を知る)
 ◆感恩(恩を感じる)
 ◆報恩(恩に報いる)といわれます。
 お釈迦さまは「恩を知らぬ者は動物にも劣る」とも おっしゃって、ご恩を知り、感じ、報いようとする心を大変重んじられました。私たちが、今こうして、生かされているのは、産み、育ててくれた両親あればこそです。「父母の恩 重きこと 天の極まり無きがごとし」と、お釈迦さまは教えられています。
 釈迦さまが、親の大恩十種(だいおんじゅっしゅ)の二番目にあげられている「臨生受苦の恩」(りんしょうじゅくのおん)についてです。生まれるに臨んで苦しみを受ける、つまり、子供が生まれる時、母親が大変な苦しみに耐えて産んでくださったご恩をいいます。月が満ちて陣痛が起こり、子供が生まれる時の苦しみは、青竹を握らせると二つに押し割るほど激しいといいます。あぶら汗が流れ、全身が、ばらばらになるような痛みに耐えて、出産する。まさに、戦場に臨むような決死の覚悟が必要なので、「陣痛」といわれるのだそうです。
『父母恩重経』(ふぼおんじゅうきょう)には、このように教えられています。
 「月満ち 時 到れば、
  業風催促(ごうふうさいそく)して、
  偏身疼痛(へんしんとうつう)し、
  骨節解体(こっせつかいたい)して、
  神心悩乱(しんしんのうらん)し、
  忽然(こつぜん)として身を亡ぼす」
 母に、大変苦しい思いをさせて、私は生まれてきたのです。
 水戸黄門として有名な徳川光圀は、お母さんが亡くなったあと、自分の誕生日には、白粥と梅干一つという粗末な食事をしていたといわれています。誕生日というと、大好きな物を食べたい!とか、バースディーケーキにろうそくを灯して・・・・・・・など思い浮かべるのではないでしょうか。
光圀はなぜ、あえて、なぜこんなことをしたのでしょう?
光圀に尋ねたら、きっと、こう答えると思います。
「なるほど、誕生日はこの世に生まれた祝うべき日であるかもしれない、しかし、この日こそ、自分が亡き母上を、最も苦しめた日なのだ、それを思うと、珍味ずくめで、お祝いなどする気には、どうしてもなれない。母上の、ご苦労を思えば、せめて一年のうちで、この日だけでも、粗末な料理で母上のご恩を感謝したいのだ」と。私たちの誕生日は、生まれ難い人間に生まれることのできた大切な日です、同時に、母が激しい痛みに耐えてくれた日でもあります。
古歌にもこう詠まれています。
 「諸人よ 思い知れかし
   己が身の 誕生の日は
    母 苦難の日」
  母の恩を胸に刻み、与えられた命を大切に、人生を一歩一歩、歩んでいただきたいものです。
 昔から、「親を亡くして、初めて知る親の恩」といわれます。親が生きている間は、なかなか、子供には、親の恩が分からないものといわれます。どうすることが、孝行なのか?
 真面目な人なら、必ずといってよいほど、起きる疑問では ないでしょうか。そして、墓に布団も、かけられず、遺骨に ご馳走を 食べさせられることもできず、どうしたら、この心が 落ち着くことか、と苦しむ気持ちは、人の子として、当然なことでしょう。そこで、立派な葬儀や法事を勤めることで、親の恩に報い、やり切れぬ気持ちを静める他はないと考え、「お経を読んでもらうだけが、死人のご馳走だ」などという人もいるのです。また、そのように教える僧職のいることも、否定できない事実のようです。しかし、親鸞聖人や蓮如上人は、一度も、そのようなことを教えられたことはありません。では、どう教えられているのでしょう?
 私たちが、親や先祖の恩に報いようとする時は、親の最も喜ぶことは何か、先祖の最も望んでいることは何か、よくよく考えることが第一です。親が、子供たちに望んでいることは様々でありましょうが、せんじつめると「子供たちよ、正しく生きてくれ、ほんとうの幸福になってもらいたい」と、願っているのではないでしょうか。それは、あえて亡くなった親や先祖を呼び出して聞くまでもなく、自分たちの子供に何を望み、願っているかを考えてみれば、分かることでしょう。皆さんが、子や孫に切望することは、なんですか?
 それは、ただ一つ「正しく生きてもらいたい」「幸せになってほしい」ということに、尽きるのではないでしょうか。
 このことを知れば、私たちが、正しく生きて、本当の幸せになることが、最も、親や先祖の喜ぶ ご恩返しになるのでは。では、正しく生き抜くには、どうすればよいのでしょう?
 本当の幸せになるには、どうすればよいのか。
 仏教を説かれた お釈迦さまは、それには、本師本仏(師匠)の阿弥陀仏の本願を聞信するしかないことを、生涯、教え続けてゆかれました。
 その、阿弥陀仏の救いにあずかり、死んでよし、生きてよしの、大安心、大満足になって、苦悩 渦巻く人生が 光明の広海と転じて、明るく強く、たくましく生き抜かせて頂く身になることが、最も、親や先祖の喜ぶことであり、ご恩に報いることになるのです。
 本当に、親の恩に感泣し、そのご恩を思われるならば、一日も早く、阿弥陀仏の救済に あずかることです。
 それ以上の、先祖に対する供養も、親孝行もありません。
   おわり


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