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第72号 報恩講について 後編

カテゴリー:法話集    更新日:2015 年 4 月 1 日

有為
 「有為」というのは、これもこの頃はあまり使わなくなったけれども「いろはにほへと ちりぬるをわか よたれかつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」。色よく咲いたけれども、必ず散ってしまうから。私どもの世の中は常じゃないのだ、年々変わっているんだ、うゐの奥山を越えたならば、心安らかになるのだ、と。
 この間高倉健が亡くなりまして、若い時の「いい男」の(笑)高倉健と、83歳の最近の写真では、「いろはにほへとちりぬるをわかよたれかつねならむ」て、見たってそう思いますね。どっかに行かんならんでしょう?「浄土無為」になる。それを「苦」と言うのです。
「苦」とは何かと言ったら無常を感ずる心が「苦」なんです。江戸時代末期に小林一茶という俳人がおりました。こどもの頃、教科書に「やせがえる 負けるな一茶 ここにあり」とか、「雀の子 そこのけそこのけ お馬がとおる」小林一茶の俳句として覚えていたのですけれども、あの人はやっぱり真宗の教え、念仏の教えに生きた人なのです。そういう意味で「苦の娑婆や花が開けば開くとて」という俳句があります。いろいろ花が咲いても必ず散ってしまう。それが「有為」なんです。この「うゐのおくやま」を越えたならば「あさきゆめみしゑひもせず」酔いもせず。もうふらふらしないで、心安らかに生活することができるのである。だから有為の奥山を越えなさいと、あのいろは歌は教えているわけです。
 有為の奥山というのはどこにあるのか?これは人間の行為があるか、人間の行為がないか、人間の働き、人間の思慮分別の働きが入っているか入っておらないかという、そこの違いなのです。「有為」というのは人間の思慮分別。人間の思うこと、人間の思い、それがみな苦を呼んでいるのです。どうなるか分からん、自分の行為でも分からんという時にそれが苦になってくるのです。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
 親鸞聖人が教えておられます。「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の「南無」頭下げた時に、不可思議「光」光は智慧です。「南無不可思議」不可思議というと、みんなこの頃では奇妙なことが、何かサスペンスが起こるような、奇妙なことが起こることを不可思議だ、不可思議なことが起こったと言うけれども、親鸞聖人が使われた不可思議というのは、奇妙なことが起きるという、そういう意味ではございません。不可思議、思議不可能。「有為」というのは何かと言うと、この「思議」なんです。「思議不可能」だから「有為不可能」ということです。もっと言ってみたら。「思」は思慮。人間の思い。「議」は計らい。人間の思慮計らいのことを「思議」と言うのです。その思慮が不可能だということに「南無」する、頭が下がったという。『正信偈』の2行目に出てくるでしょう?「帰命無量寿如来、南無不可思議光」という。ああ、そうだった、人間の思議じゃなかったということに気が付いたのが「南無不可思議光」です。そこで人間助かるのです。親鸞聖人は、人間が助かる道は何か、思議不可能ということに気が付くことだと。人間の行為、頭の働き、言葉の働きがあるということに対して、浄土は「無為」だと。
 「無為」というのは人間の考えが入らない世界、どういうことかというと、私はいわゆるこの娑婆に生まれてきて80年経ったのですけれども、80年前に人間に生まれたくて、人間に生まれたいと思って生まれてきたか、本人も産んでくれと頼んで生まれたわけでもないし、父親もそんな親の言うことを聞かんような子が、ほしいなんて思ったこともないので。父親もそう思っていない、私はいったいどこから生まれてきたのだと。気が付いたら人間に生まれていたということなのです。
 そうするとやっぱり、縁があって生まれてきたのだけれども、「私のいのち」は別に私の考えで生まれてきたわけじゃないから、「今 いのちがあなたを生きている」「いのち」というのはあなたが作ったものではなく、私を超えた命が今生きている。そしてその命もやがて、この娑婆の縁が尽きた時には、「無為自然の浄土」へ帰って行くのです。浄土無為から生まれて浄土無為に帰って行く。この浄土というのはやはり人間の行為、考えが一切入らない世界、それがお浄土なのです。だから、「俺は天国を信じないけれどもお浄土は信じる」「俺はお浄土を信じないけれども天国は信じる」そういった思議の世界ではないのです。思議を超えた世界を「浄土無為」と教えているのです。
 明日ありと思う心の仇桜
そこで親鸞聖人は9歳の年に天台宗の慈鎮和尚の下で得度されることになった。その時急に思い立って、叔父さんに連れられて行って得度されることになったのだけれども夜中だったので、「もう夜だし、これから得度しないで明日になって、明かるい時に頭を剃ったらどうか」というふうに勧められたけれども、その時、9歳の親鸞聖人が庭に咲いている桜を見ながら「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」こう歌われたというので、それで慈鎮和尚も感心して「それならば今、これから得度いたしましょう」と言って、頭を剃ってくださったという話になっています。 
この「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」というこれは、親鸞聖人の直接の言葉ではないのです。ただ1つ言えることは、親鸞聖人の教えをいただかれた人が、親鸞聖人が9歳の時、得度される時はこういうお心であったであろうと、親鸞聖人の御出家の時の気持ちをこの歌に表されたのだろうと、そこに出てくる言葉でちょっと難しいのが「仇桜」というのはどういう桜をいうのか辞書を引いてみますと、すぐ散ってしまう桜の花『親鸞聖人絵詞伝』に載っていると、辞書には記されています。「仇桜」という言葉を「苦」に置き換えてるわけです。「明日ありと思う心の仇桜」明日もある、明日もある、まだ今きれいに咲いているけれども、明日もあるから明日もまたこの花を楽しもうと思っていたのに、今晩にでも嵐がくればみんな散ってしまって、この桜はなくなってしまうのです。それがこの世の中の姿ではないか?
「苦の娑婆や」
 その辺の言葉を小林一茶は「苦の娑婆や 花が開けば開くとて」と、こう詠んだのだと思うのです。花がパーットきれいに咲いたら喜んでいればいいのに喜ばないで、ああ、こんなにきれいに咲いてもまた散ってしまうなと、それを苦にしている心がちゃんとある。それを末代無智の凡夫と言うのだということを、小林一茶は歌っている。
 私どもの「無常」を感ずる心がそういう「苦」になってくる、実はこの歌の底に流れているもの、あのいろは歌の有為の奥山、それを苦にする心を越えたならば諾々とした生活が開けてくるぞ、苦のない世界が開けてくるぞと教えている。そのことから、この「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という言葉がここに、親鸞聖人のご生涯の得度の時のお気持ちとして出ているのではなかろうかと、このように思うことなのです。
 そしてその心は何か、親鸞聖人はその心を「娑婆永劫の苦を捨てて、浄土無為を期すること、本師釈迦の力なり、長時に慈恩を報ずべし」この歌から、娑婆永劫の苦というのはこの「有為」の世界です。有為の世界の苦を捨てて「長時無為を期すること」それが仏法の教えだと。その慈しみの心「慈恩」を報じなさいと。
 本当に人間の思いを超えた世界に「南無阿弥陀仏」と気が付いた時、「本師釈迦の」仏法の教えなのだと。その慈しみの恩をどこまで報じていくということです。これが親鸞聖人の御和讃です。もう1つ最後に、親鸞聖人の教えでは、その「苦」をどうして超えるのかということなのですが、越えられないということに気付けという。私どもは今いろいろな文化に生かされていて、いろいろな世の中の不都合なことは、みな文化で解決できるのだ、そして全部解決したならば安らかな世界が開かれていくのだというふうに教える、それも「有為」なのだということを、私どもに教えてくださっています。だから「有為の奥山」は越えられない、生涯「有為の奥山」に閉じこもらなければならない。その閉じこもった者が娑婆の縁尽きて、力なくして終わる時には「かの土へ参るべきなり」と、こう親鸞聖人は私どもに教えてくださったのです。            おわり


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