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第65号 私にとってのお寺とは 後編

カテゴリー:法話集    更新日:2013 年 9 月 6 日

「私にとってのお寺とは」   西照寺前住 北原了義師
善導大師の水火二河のたとえの言葉。
「今更(さら)に行者のために、一つの譬喩(ひゆ)を説きて信心を守護して、もって外邪(げじゃ)異見(いけん)の難を防がん。何者かこれや。譬(たと)えば、人ありて西に向かいて行(ゆ)かんと欲(ほつ)するに百千の里ならん、忽然(こつねん)として中路に二つの河あり。一つにはこれ火の河、南にあり。二つにはこれ水の河、北にあり。二河おのおの闊(ひろ)さ百歩、おのおの深くして底なし、南北辺(ほとり)なし。正(まさ)しく水火の中間(ちゅうげん)に、一つの白道(びゃくどう)あり、闊(ひろ)さ四五寸(しごすん)許 (ばかり)なるべし。この道、東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪(はろう)交わり過ぎて道を湿(うるお)す。その火焰(かえん)また来(きた)りて道を焼く。水火あい交わりて常にして休息(くそく)なけん。この人すでに空曠(くうこう)の迥(はるか)なる処(ところ)に至るに、さらに人物なし。多く群賊悪獣(ぐんぞくあくじゅう)ありて、この人の単独なるを見て、競(きそ)い来(きた)りてこの人を殺さんと欲(ほつ)す。死を怖(おそ)れて直ちに走りて西に向かうに、忽然(こつねん)としてこの大河を見て、すなわち自ら念言(ねんごん)すらく、「この河、南北辺畔(へんばん)を見ず、中間に一つの白道(びゃくどう)を見る、きわめてこれ狭少(きょうしょう)なり。二つの岸、あい去ること近(ちか)しといえども、何に由(よ)ってか行くべき。今日(きょう)定んで死せんこと疑わず。正(まさ)しく到(いた)り回(かえ)らんと欲(ほっ)すれば、群賊悪獣漸漸(ぐんぞくあくじゅうぜんぜん)に来り逼(せ)む。正(まさ)しく南北に避(さ)り走らんと欲すれば、悪獣毒虫(あくじゅうどくちゅう)競い来りて我に向かう。正(まさ)しく西に向かいて道を尋(たず)ねて去(ゆ)かんと欲すれば、また恐(おそ)らくはこの水火の二河に堕(だ)せんことを。」時に当たりて惶怖(こうふ)すること、また言うべからず。すなわち自ら思念すらく、「我今回(かえ)らばまた死せん、住(とど)まらばまた死せん、去(ゆ)かばまた死せん。一種として死を勉(まぬか)れざれば、我寧(やす)くこの道を尋(たず)ねて前(さき)に向こうて去(ゆ)かん。すでにこの道あり、必ず度すべし』と。此の念を作(な)す時、東の岸にたちまち人の勧(すす)むる声を聞く、『仁者(きみ)ただ決定(けつじょう)してこの道を尋(たず)ねて行け、必ず死の難なけん。もし住(とど)まらばすなわち死せん』と。また西の岸の上に人ありて喚(よぼ)うて言く、『汝(なんじ)一心正念(しょうねん)にして直ちに来(きた)れ、我よく汝(なんじ)を護(まも)らん、すべて水火の難に堕(だ)せんことを畏(おそ)れざれ』と。この人すでに此(ここ)に遣(つか)わし彼(かしこ)に喚(よば)うを聞きて、すなわち自ら正(まさ)しく身心に当たりて、決定(けつじょう)して道を尋(たず)ねて直に進みて、疑怯退心(ぎこうたいしん)を生ぜずして、あるいは行くこと一分二分(いちぶんにぶん)するに、東の岸の羣賊等(ぐんぞくら)喚(よぼ)うて言く。「仁者(きみ)回(かえ)り來(きた)れ、この道嶮惡(けんあく)なり。過ぐることを得じ。必ず死せんこと疑わず。我等(われら)すべて惡心あってあい向うことなし」と。この人、喚(よば)う声を聞くといえどもまた回顧(かえりみ)ず。一心に直ちに進みて道を念じて行けば、須臾(しゅゆ)にすなわち西の岸に到(いた)りて永く諸難を離(はな)る。善友あい見て慶樂(きょうらく)すること已(や)むことなからんがごとし。これはこれ喩(たとえ)なり。
「信心をえるために一つのたとえ話を書きます」と言って、これだけのことを文章に書かれたのです。この文章から親鸞聖人は「無明煩悩、我らが身に充ちみて、欲も多く、忿り、腹立ち、そねみ、嫉むこころ多く、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、消えず、絶えずと水火二河のたとえにあらわれたり」。「欲も多く、忿り、腹立ち、そねみ、嫉むこころ多く、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、消えず、絶えず」ということを、どこにも書いていないけれども、それがこのたとえ話から親鸞聖人は読み取られたのです。このたとえ話が言っていることは、どういうことか。人間の無明な姿を教えておられる。「水火二河のたとえにあらわれたり」と親鸞聖人は押さえておられる。誠に、親鸞聖人は大変な方だと思います。
 このたとえ話は、ある人が、西に向かって独りで進んで行くと、目の前に突然、二つの河があった。一つは火の河。これは南にあり。片方には水の河。これが北にある。その中間に、一つのわずか四~五寸の白道があった。この長さは百歩、そして、火のほうが、この白い道を見えないほど覆い尽くす。すると、水の河から波がわーっと来てこの道を潤す。この白いわずかな道は火と水が相交わって休むことがなしに水火が相交わって、とても渡れるような道ではない。どうしようかと思っているときに、こちらから羣賊(くんぞく)がこの人に襲いかかってきた。前に火の河と水の河があった。河は渡れそうもないし、後ろからは羣賊が追っかけてきて殺そうとする。どうしようもなくなって、この人はここにとどまっておれば死ななければならない。前に進んでも死ななきゃならない。とどまるも死、行くも死。一つとして死を免れることはできない。それならば、意を決してこの道を進む、水火の二河の水を進もうというときに、こちらの東の岸から声が聞こえてきた。「おまえは臆せずにその道を行きなさい」。こちらかも、「おまえ、必ず渡りきることができるから、臆せずにこの道を来なさい」と呼ぶ声がした。進める声と呼ぶ声に押されて、この人は水火二河の中を歩いて、ようやく向こう岸に行って、かつて一緒のよき師よき友と会うことができた。こういうたとえです。
そして、東から勧める声がお釈迦様の声、西から呼ぶ声が阿弥陀様の声。お釈迦様の「行け」という声が。仏教のお話では、「わがところに来い」というのは仏法ではないのです。お釈迦様は「おまえの道を行け」と教えられる。仏教の教えは「おまえの道を歩いていきなさい」と教える。それを善導大師はたとえに絡めた。阿弥陀様というのは、そういう私たちを呼んでくださるご本願である。百道の百歩というのは、人寿百歳、人間の寿命は百年ということから百分の長さにした。
 五尺の体。人間の体、一人の大きさ、人間の人生、それが百道としてあわらされたのです。これは決して白い道がたんたんと開いているのではなくて、水の河火の河に覆い尽くされている。火は何を表しているかというと、むさぼりの心。水は怒りと憎しみの心。だから自分の欲の心がわっと出てくると、欲どおりにいかないと「何で、おれだけがこんなに目に遭うんだ?」と怒りの心が押し掛けてくる。それが人間の姿であるということを教えられたあたりから、親鸞聖人はそれを書かれたと思います。
 「群賊悪獣」というのは、私は初めこれを聞いたときは、これは世の中の声。そんな道を尋ねていかないで、この娑婆で仲良く飲みたいものを飲み、聞きたいものを聞き、きれいな女性を迎え、楽々と暮らしたほうがいいのではないかと、私は初めて呼び声を受け取ったのです。そういう人間は、世間からの誘惑にいつも引きずり回されているという、私は「世間の声」と読んだのです。そうしたら、善導大師はそうではないと書いてある。「群賊悪獣」というのは、六根六識だと言われたのです。六根というのは、眼・耳・鼻・舌・身・意識、この6つで「六根」と言います。その六根の働きによって、世の中を見ます。六根六識によって世の中を知っている。「群賊悪獣」というのは、六根六識。「おまえの心や姿が「群賊悪獣」であるとわが身にとらえたのです。人間に。世の中の声ではないのです。「あなた自身の身の姿がそうである」と善導大師は私どもに教えてくださった。自分の欲望にいつでも私どもが引きずりこまれて、「おまえ、苦労してもしょうがない。この娑婆の日暮らしをしよう」という、自分の欲の心がここに出ている。それを「群賊悪獣」と善導大師は言われました。そのことを親鸞聖人は「群賊悪獣」が充ち満ちておるというふうに受け取っておられた。それが、無明煩悩の私の姿であるということは、その心が、しかも臨終の一念に至るまで散りもしなければ絶えもしない。このように教えられると、私は生涯この悪の苦悩から救われないということになります。
 そういう苦悩がなくならない身でしたということに、私たちが気がつくか気がつかないか。これは教えられて、「おまえ、気がつけ」と言われて気がつく者ではありません。自分でもって、何とか欲の心や私をさいなましている心から救われたいと思っていながら、まさに臨終の一念に至るまで散りもしなければ絶えもしないわが身だったということで、「ああ、そうだったな」と気がついた心が、「南無阿弥陀仏」の「南無」自分の意識で考えたことではなく、わが身の意識を超えて、わが身自身の姿に、「ああ、そうだった」。もう無明煩悩に覆い尽くされた身でそこから臨終の一念に至るまで、この苦労の中に身を置かなければならない身であったということに、「南無」といただいた。それが「南無阿弥陀仏」の「南無」です。そのことに気がつくと、阿弥陀仏というのは、これはサンスクリットの言葉です。「ア」というのは、打ち消しの言葉です。「ミーター」というのは限りがある、有限という意味です。「ア」で打ち消しですからひっくり返る。「限りなし」という。無量寿というでしょう。帰命無量寿如来。無量。量なし、無限。限りない。今、無限ですね。寿というのは寿命です。いのち。無量というのは限りない。無量寿如来。如来というのは何かというと、真(まこと)から来たもの。無限のいのちの真から来たいのちに私は、今、ここに生かされているのです。
 去年のご遠忌のテーマは、「いのちがあなたを生きている」普通私どもは、「私のいのちは今生きている」と、「私」を先につけるけども、ご遠忌テーマは「いのちがあなたを生きている」。自分でつくった、「いのち」は一つもないのです。みんな、頂いた「いのち」です。
 大谷大学には延塚知道という真宗学の教授がおられます。九州の人ですが、その人のお話の中に、「私は、本当は京都の大谷大学で仏教を学ぼうという気持ちは全然なかった。九州の福岡から、自分の仲間たちが皆『東京工大に行こう』と言って、東京工大を目指していた。自分も東京工大を目指して、何とか行きたいと思ったけど、親は『駄目。大谷大学に行って、仏教を勉強しなさい』、『嫌』『嫌』と言ってさんざんごねて、ごねて、それでも親が『うん』と言わなかった。『何で、こんなおれを生んだのだ?』と父親に向かって言った。父親も『おまえみたいなのは欲しくなかった』と言った。『親に反抗するような者は欲しくなかった』」と。自分で生まれたくて生まれたわけでもないのに、親が欲しくて生んだものでもない。「いのち」そのものはそういう人間の思いを超えて頂いたものです。それが無量寿です。今、働いている「いのち」は、あなたがつくった「いのち」は一つもない。みんな、頂いたいのちです。無量寿の「いのち」を頂いたのです。それを「南無」と気がついて、「苦悩だった」ということに気がついたときに、「阿弥陀仏」というところに、「ああ、そうだった」と私自身がそのことに安心させられるのです。それを親鸞聖人が教えてくださった。 
 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば」。弥陀如来の教えをよくよく聞けば、「親鸞一人が為なりけり」。あれを聞かせるため、これも聞かせるために、私自身が「ああ、そうだった」といただくための教えでした。
「されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」。はじめにありましたように「無明煩悩、我らが身に充ちみて、欲も多く、忿り、腹立ち、そねみ、嫉むこころ多く、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、消えないような、そういう束縛の業を持っている身をご本願は助けようとしておいでになる。「たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、「いままた案ずるに」、これはそのお話を聞いた善導大師が「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」という、いまだにこの中にあって、「出離の縁なし」、これは善導大師の言葉です。苦悩から出る縁も離れる縁も一切ない、救われようがないということに、「南無」と気がついた私が今、ここに悠々と生かされている。「南無阿弥陀仏」というところに、人間は初めて解放される。それを、親鸞聖人は私どもに教えてくださったことであります。
 時間がまいりましたので、以上で終わります。不十分な話でしたが、無明煩悩のわが身に私自身が気づかさせてもらうということは何よりも大事なことであって、その場を開いてくれるのがお寺であろうと思います。
 以上で、お話を終わらさせていただきます。


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(2023 年 7 月 12 日)