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第63号 「六度万行」について

カテゴリー:法話集    更新日:2012 年 11 月 23 日

 小学校の時など、「一日一善」という言葉を聞いた人も多いのではないでしょうか。一日、一つは善い事を、おこないましょう、ということですが。
じゃあ、善い事ってなんだろう??
改めて聞かれるとハッキリしません。
 お釈迦様は、「まかぬタネは生えぬ、まいたタネは必ずはえる。」と教えられ、幸せを生み出すタネとは何かを教えておられます。
 仏教には、たくさんの「善」が教えられていますが、それは私たちが幸せになるタネまきのことです。
 ひとり一人相手に応じて、こういうことをやってみなさいと勧めて、おられ、それを六つにまとめて教えられたのが六度万行という教えです。万行の行とは、「善い行い」ということです。
 万行というのは沢山の善い行いということで、因果の道理を教えられたお釈迦様は、沢山の善い行いを教えられていて、それを「万行」といわれているのです。
 苦しみ悩みの人生を明るく楽しく幸せに度(わたす)行いですから六度万行といわれるのです。言い換えれば、良い行いをしなければ、良い結果は現れません。良い種をまくもまかぬも自分 次第。まけばまいただけの結果が現れ、まかねば現れません。
 私の人生は私の行いによって作られています。どんな種をまけばよいのか、これは仏教に説かれているたくさんの善を私たちが実行しやすいように六つにまとめたものです。
その六つとは
1、布施(ふせ)
2、持戒(じかい)
3、忍辱(にんにく)
4、精進(しょうじん)
5、禅定(ぜんじょう)
6、智慧(ちえ)の六つです。
今の言葉に変えて見ると
1、布施…………→親切
2、持戒…………→言行一致
3、忍辱…………→忍耐
4、精進…………→努力
5、禅定…………→反省
6、智慧…………→修養
これですと分かり易くなったと思います。
これを簡単に説明しますと
布施とは、
 施しをするということで、相手に、お金や物を施してあげる事をいいます。
今の言葉で言うと親切をするということ。困っている人があったら、お金や物などの施しをして助けてあげる、親切をしてあげる事をいいます。
持戒とは、
 言行一致ということで、言う事と行う事を一致させる、もっと身近な言葉で言うと、約束を守るということですね。
忍辱とは、
 忍耐をするということ。つい嫌な事があると、カッなって、怒ってしまいがちですが、怒りを外に出すと、周りの人も苦しめ、自分も苦しめる事になります。それをぐっとこらえて忍耐する、これは大変よい行いであると教えられています。
精進は、
 努力するということ。精進というと、今では、精進料理というように、肉や魚を食べない事と思っている人が多いですが、そういう意味ではありません。
精進は、精を出して進むということですから、努力をするということです。
禅定とは、心を禅(しず)め、定めるということで、反省をするということです。
 自分に悪い結果が返って来ると、あいつが、あんな事をいったから、こいつが、こんな事をやったから、と周りに心がチリ乱れますが、そんな時に自分に原因が無かったかと反省する事が禅定です。
 智恵とは、修養ということですが、
これは、六度万行をまとめられたもので、常に心がけて、六度万行を実行していくということです。
▼お釈迦様は、沢山のよい行いを6つにまとめて教えられたのですが、どれか一つを常に心がけて実行していけば、あとの5つも含めて6つ全部やった事になると教えられているんです。
 自分の心にあった一つから実行してゆけば、それに応じて必ず善い結果が返って来ると教えられているのです。
もう少し詳しく話しましょう。
布施とか精進という言葉は、聞いたことがあるという人も多いかと思います。
【布施】
 布施とは、「ダーナ」という古代インドの言葉を中国語に翻訳(ほんやく)したものです。ダーナとは「与える」という意味で、ダーナを音写したのが「旦那」という言葉です。
 今では旦那というと、寿司屋の板前さんが入ってきたお客さんに「へい、旦那。いらっしゃい」と言ったり、奥さんが夫のことを「うちの旦那はケチなのよ」と言ったりします。
しかし、旦那とはもともと、「与える人」という意味なのです。
たしかに、板前さんにとっては、お客さんがお金を与えてくれる人ですし、奥さんにとっては、大黒柱のご主人が家計を支えてくれる「与える人」になりますね。
 布施とは、思いやりの心で周りの人に何かを与えることをいいます。
お金や物がなくて困っている人、お金や物にはそれほど困っていなくても、優しさに飢えている人、失敗続きで落ち込んだり、悩みを聞いてもらいたいと思っている人、困っている人、元気をなくしている人はたくさんいます。
お釈迦さまは、思いやりの気持ちを、もってお金や物、笑顔や優しい言葉など、「ちょっとしたことでもいいので、あなたが、できることを与えてみなさい。それは全部、あなたに返ってきますよ」と教えられています。
思いやりの心や、優しさで接すれば、相手から思いやりや、優しさが返ってきます。
自分勝手に振る舞えば、誰もあなたのことを、かまってくれなくなります。
あなたが周りへとった態度がそのまま、周りのあなたへの態度となって返ってくるのです。
優しくすれば、優しくされる。大事にすれば、大事にされる。
逆に、冷たく、自分勝手に振る舞えば、周りから嫌われたり、うとまれます。
このことは、当たり前だと思う人もいるでしょうが、実際には、実行できていない人が多いと思います。
「大事にされたい」と思ったら、方法は簡単です。人に対して優しく、大事にすればいいのです。
 布施とは「与える」ということですが、もっと身近な言葉でいうと、「親切」ということです。「親切」「思いやり」これは、震災からこの一年間、テレビCMや、さまざまなメディアで訴えられてきたことです。
 広告で「思いは、目には見えないけど、思いやりは目に見える」というフレーズは多くの人の心に残っていると思います。ですが、どうして、親切がいいことなの?
 他人に思いやりの気持ちを持つことが、どうして大事なの?と聞かれたら、どう答えればいいでしょう?
 子供じみた質問と笑い飛ばすのは簡単ですが、子供が納得するように話をするのは難しく、子供が納得できないことは、大抵、大人もよく分かっていないことが多いものです。
 お釈迦さまは、「人を思いやったり、優しくすることは、相手を生かすだけでなく、自分を明るく、まっすぐ生かす、幸せのタネまきなのだよ」と教えられています。
親切、思いやりは相手を幸せにするだけでなく自分を幸せに生かすタネまきなのです。このことを強く知らされることが新聞記事に載っていましたので読んでみたいと思います。
【刑務所で犬を飼う】
アメリカの刑務所の囚人たちの再犯率を抑えるプログラムが取り上げられていました。
 刑務所を出所した人のなんと4割が、再犯を犯して戻ってくるという深刻な問題があり、ところが、あるプログラムを導入したところ、再犯率が激減したそうです。
 ある刑務所では十五年間、誰も再犯を犯して戻ってきた人はいなかったそうです。
 そのプログラムとは、囚人一人ひとりに犬の面倒を見させて、一緒に寝たり、食事をともにして世話をさせるというものでした。殺人や殺人未遂という重い犯罪を犯した人たちは、自分以外の人や生き物に愛情を注ぐという経験に乏しい人が多いそうです。愛情に恵まれない不幸な家庭環境に生まれたことで、そうならざるを得なかった受刑者もいるのでしょう。その受刑者たちに、捨て犬や虐待を受けてきた犬、このままでは殺処分されてしまう犬たちの面倒を三カ月間見させます。そして三カ月後、しつけや行儀が身についた犬は、引き取ってくれる里親のもとに引き取られていくのです。
犬との触れ合いの中で、受刑者たちは思いやりの心を取り戻していきました。犬を助けたことにより、自分自身が生かされたのです。
ある青年はこう語っていました。
「おれは、自己中心的で 他人にも全く興味がなかった。ところが犬を飼って分かったことは、犬にも人間と同じ感情があるのだ。相手のことを思いやることが、大事だと思った。この犬を素晴らしい犬にすることで、幸せな家庭に引き取ってもらえるようになるのですから。」と、また、22歳の青年は、
「僕は殺人未遂でここに入っている、薬にも手を出し暴力的で手がつけられなかった。もう昔の自分には戻らない、悪の道には進まない」と、
そして、三か月後、犬との別れがやってきます。犬たちは里親のもとへ引き取られていく。中には、別れの悲しみで泣き出す人もありました。
「犬は、ここに来なければ安楽死させられていた。幸せになってほしい、本当は自分が飼いたいのだけれど犬が幸せになるのなら嬉しいです」涙を浮かべて犬の幸せを念じて見送る囚人たちには、かつての凶悪な面影はなく、その瞳は少年のようにキラキラと輝いているのでした。
 このプログラムの導入で、これまで4割だった再犯率が激減し、ほぼゼロになった、ところもあるそうです。
さて、囚人たちは犬を助けたのでしょうか?
それとも犬に助けられたのでしょうか?
答えは「両方」です。
 仏教ではこれを自利利他(じりりた)といいます。
 他人を幸せにすることが、自分が幸せになれる。周りを思いやることは、自分が幸せになるタネまきなのです。
 優しさ・思いやりは誰の為でもない、自分が幸せになれるタネまきなのです。
幸せになる「スイッチ」があると、お釈迦様は教えられています。仏教では笑顔の大切さを教えています。
 仏教は善の勧め、ですがその筆頭にあげられるのが「布施」です。
「あまねく施す」と書き、相手の喜ぶもの、お金や物、幸せになれる教えなどを与える、伝えることです。
 相手の幸せを念じて、施せば、相手が喜ぶだけでなく、布施をした本人にも嬉しい気持ちになり。お互いに幸せになりますから、「自利利他」といいます。
【親切するときの心がけ】
先程申しましたように、布施とは、今の言葉でいえば、親切のことです。
仏教では心を一番重く見られますから、どんな心で親切するのかでも、結果は全く変わってきます。
お釈迦様は、他人に親切をする時に、「私が」「だれだれに」、「何々を」してやったのだという、この三つを忘れなさいと教えられています。
私たちは、どうしても、誰かに親切をした時に、「これだけ、してやったのに」という心が出てきますが、それをなるべく忘れなさいと教えられているのです。もし、この三つをずっと覚えていたらどうでしょう。これだけやってあげたのに、どうしてお礼がないのだろう、もっと、感謝してくれてもいいのに、この間、私はあなたにこんなことをしてあげたでしょう。
 今度は、あなたが、これをやってよと、親切の見返りの請求書を突き付けてしまいたくなります。すると、相手も、「誰が頼んたのだ、勝手にお前がやったんだろう」と反発をする人もあるでしょうし、助けてもらわないと、どうしようもない立場の人は「ありがとうございます」と言いながら、心の中では恨めしく思っているかもしれません。
 「まいたタネは必ずはえる」これは因果の鉄則ですから、親切をした相手から返って来なくても必ず、あなたが、やった行いの結果が返ってきます。だから、施した相手に請求書を突き付けなくてもいいのです。ちょっと勇気をだして、いつも突き付けている請求書をびりっと破って捨ててしまいましょう。きっと、肩の力が抜けて、朗らかに相手に接することができるはずです。心がけていきたいものです。    【おわり】


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(2023 年 7 月 12 日)