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第61号 「白骨の御文について」

カテゴリー:法話集    更新日:2012 年 7 月 1 日

 浄土真宗では亡くなると「還浄」というのです。これは浄土へかえるということです。これが根本ですね。天国に行くということではないですよと、いうことを言われているのは、ここから来るのですね。
 蓮如上人の御文の中で「白骨の御文」というのがあります。亡くなると初七日、四十九日、一周忌の大体三回ぐらい読まれるわけです。皆さん、聞かれたこともあると思いますが、皆さんのお手元にレジメが渡されていると思いますが、これは原文ですが、一つづつ説明していくと、二時間あっても三時間あっても終わらないのですが、蓮如上人は人生の目的は、後生の一大事を知り、解決することだ、とおっしゃっています。
 [原文] それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
 
こうやって字を見ながら皆さんも「白骨の御文」を読まれていると、どういうことを言われているかというのが、うすうす分かると思うんです。まず、
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。」 
私たちは、何かを信じなければ生きてはゆけません。皆さん方、何を信じて生きていますか。これが、一番最初の疑問問題ですね。「夫は妻を信じ、妻は夫を信じて」、これは落語にありますよね。「親は子をいのちと思い、この子さえいれば老人ホームに入れられないですむだろう」と信じていませんか。また、「世の中はお金だ。お金さえあれば何でも買える」。地獄の沙汰も金次第という言葉がありますから、そのお金を信じますか。明日、生きていると信じますか。それとも一カ月後、一年後、十年後の計画を立てていませんか。これが、私たちじゃないでしょうか。あるときは妻を信じ、あるときは夫を信じ、あるときはお金を信じ、そして名誉や何だかんだとそういうものを信じて生きながら、それに裏切られるということでしょう。そのときが、私たちにとって一番苦しいときではないでしょうか。仏教では、人間は海に浮いているようなものだと、例えられています。それが、「浮生なる相」という言葉ですよね。海に浮き沈むという。
 自分をそういうふうに思ってみてみると、「おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり」。始中終という言葉は、私たちは生まれたときも分からない。今生きているのも、何を信じて生きているか分からない。そして、終わって亡くなるときはどこへ行くかも分からない。だから、「始中終、まぼろしのごとくなる一期なり」という言葉を使うのです。これは、報恩講に来られた方は分かるのですけども、新潟の北原先生がこの辺のことを詳しくお話になられました。「私たちは本当に夢中になって生きているけれども、何に向かって生きているんですか。それを分かりなさい」ということだと思うんです。
 一休さんがこういう句をつくったのです。「世の中の娘が嫁と花咲いて かかあとしぼんで、婆と散りゆく」。このとおりですね。女性は娘となってお嫁に行って、子どもを生んで母親になって、年取って亡くなっていく。男性も同じことです。これは、一生涯をうたった言葉じゃないでしょうか。
 そうやって人々は,みんな自分の一生のことを考えているんですけど、その辺がなかなか分からないというのが私たちですよ。だから早く気がつきなさいということをおっしゃられているんです。また、秀吉が、最期にこういう歌をうたっていることもあるんです。
「おごらざる者もまたひさしからず 露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢の又夢」天下をとった秀吉がこういうことを最期に歌っているんです。ということは、農民から出世して、結局、天下取りにまでなったけれど、それは目的としてであって天下取りになって見た時、自分の人生はあっという間に露の如くに消えはてる悲しい身であった。秀吉さんは最期になって気がつかれたのではないでしょうか。でも、私たちも同じことだと思うんです。一生懸命、その目標に向かって生きていますけども、いざ、自分がその途中で挫折なんぞをしようものなら何を恨むかといえば、人を恨むしか方法がないということではないでしょうか。自分を恨むということは少ないですね。先ほど、総代さんが言われたように、今日一日、一つでもいいことを、ということがなかなか感じないということでしょう。それを感じたときに、初めてこういうふうな句も歌えるようになるんじゃないんでしょうか。
 蓮如上人は、「目的のない人生は儚くないですか、目的なしに生きる人間の儚さを知りなさいよ」とまず教えられています。         つづく


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