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第54号 帰敬式

カテゴリー:法話集    更新日:2010 年 10 月 1 日

 法名をいただくという事はどういう事か、法名は亡くなってから頂くものだと考えている方が、非常に多いのです。生前に法名をいただくという事は、お釈迦さま、そして親鸞聖人の教えをよく聴聞して、真の生き方をしていくのですよという事ですね。ですから俗名と法名と二つ持って生活をしなさいと。普段でしたら俗名しか持っていませんから、それはいろいろな考えが出てくるでしょうけれども、法名をいただく事によって、教えにのっとった真の道があると感じながら生きるのは大事ですよという事なのですね。
 浄土真宗では亡くなるとお浄土へお帰りになるといわれます。俗名でなくて、法名を頂いて、お浄土へお帰りなさいという事なのです。生きているときに、法名を頂くという事は、自分がお浄土へ行ったつもりになれるという事です。先輩たち、ご先祖さまが、お浄土へ行っているわけですから、その思いを、生きている間に感じるという事が大事なのです。私は死んだらどうなるか分からないという事ではないのですね。必ず阿弥陀さまが、お浄土へ連れて行ってくださるという事を、感じながら生きるほうがもっと大事だと思うのですね。そのために帰敬式を受け、法名を頂いて、教えを聴聞しながら生活をしていくことが、法名をいただく第一なのです。それをほとんどの方が法名は亡きなってから頂くものだと勘違いされています。自分が亡くなってから、何という名前を付けられるか分からないより、生きている間にもらったほうが、私の法名はこうなのだなと安心するのではないですか。
キリスト教では、クリスチャンネームをもらいませんか、それと同じなのですよ。だから仏教徒が取るから、〓Buddhist neme(ブゥデストネーム)〓です。
さて、なぜ法名というのか、皆さんは考えた事がありますか、なぜ戒名ではないのだろう。真宗は私達生活の中に教えがあるという事です。一生涯自分の生活をするのだから、一生涯聞法・聴聞する事が大事なのです。それが浄土真宗の教えです。その教えにのっとった生き方をする名前なのです。
 先日もご門徒さんがお参りに来られた。その次の日にお母さんがお参り来られた時、女性の方がお参りに来られたと、私が話したら「あ、娘だわ。通夜葬儀にも出ない子が、何でだろうね。今は音信がないのですよ」とおっしゃるのです。その娘さん、具合が悪いのですよ。だからお寺に来て、お参りするわけです。どこも行くところがないのでしょう。お医者さんから、余命3カ月から半年ですよといわれたときに、自分が不安でどこにも心を持っていけないという事でしょう。父親のところにすがりに来たのではないですか、悲しい事ですよね、自分が、その身になったという事を引き受けられるかどうかですよ、誰も病気になるとは考えていないのだから。いくら通夜葬儀に娘さんが出なかったからといって、お父さんは怒っているわけではないと思うし、でも心のどこかにすまないという気持ちがあるから、お参りにきたのでしょう、それと同時に、自分の病気が治ってくれればいいという願いもあったかもしれない。病気になって、病気を引き受けられるかどうか、素直に受けられれば、気持ちがすっと落ち着くのではないですか。
 先日、やはりお檀家の奥さまが亡くなられた方は、おじいさんの看護を非常によくやっておられました。おじいさんが亡くなられた後、自分がガンだと気がついたのです、その時は手遅れ、娘さんが「住職さん、うちの母は損したよね」という、最後にそのお母さんが、日記に書いてあった事は「私はおじいさんに殺されたとか思わない。これは私がお預かりした命なのだ、大事にしなさいという事を教わった」というのです。それを聞いた時に「僕にも、その様に思えるかな」と感じたのです。こんなに命を大事にされる方が、自分がガンだという事を感じながら生きる。いのちを引き受ける事でしょう、阿弥陀さんから教えて頂いている事でしょう。ご主人は、妻は「こんなにまで、自分の命を大事にしているとは思わなかった。尊い事ですよね」という話を聞かせられた時に、本当に真宗で良かったなとつくづく感じるのです。
 今日、帰敬式を受けられた方も、同じ事だと思います。生きている時に、自分の法名を頂き、この法名と一緒に生活するのだというふうに感じれば、この命の大事さをもっと感じられるのではないでしょうか。法名をいただいたからといって、命を永らえてくれるとは思わないです。いつ何時死ぬか分からない、そんな身であるという事を、本当に感じられれば、この法名が大事になるのではないでしょうか。私は、そこが一番大事な事だと感じるのです、皆さんいかがでしょうか。
  受式者の感想
◆佐藤 登志子(釋尼靜志)
 今日は帰敬式を受ける日、いつもと違った気持で門をくぐると、見事に咲いた鮮やかなボタンに迎えられ気持が和らぎました。法名は亡くなってから頂くものと思っていましたが、勉強会で法名は生前に頂くものであり、「仏弟子になる事」、仏の教えに依って「南無阿弥陀仏」の慈悲と智慧を賜り生きて行くと云う名告りとのこと。
私の様な者でも頂く資格があるのだろうかと感じながら、緊張していると住職が私のところに来て「剃刀の儀」を行い、私もこれで仏弟子の道に入ると、神妙な気分になりました。そして私の法名と略肩衣を授かりました。仏様の教えに依りどころとして生きる、今はじまったばかり、解らないことが多いが、これからも聴聞し門徒の皆様と楽しく学んでいきたいと思います。老いていくこれからの人生に気持ちをしっかり持って何事においても受け止めて行くようにしたいと思っております。 ありがとうございました。
◆大野 恵美子(釋尼恵澄)
 満開のボタンが咲き誇る日に帰敬式を受式することが出来ました。法名とは「亡くなってから頂くもの」と思っておりましたので、仏弟子となることの良い緊張感と毎月勉強会で顔なじみの皆さんと一緒と云う多少の安堵感があり心地良い一日でした。
昨年5月12日心臓で倒れ三か月間意識不明のまま8月12日36歳で亡くなった長男も源信寺さんにお世話になりました。今回帰敬式を受式したのもその時の出来事があったからです。生きている「今」受式したことで虚しくない人生を送りたいと思っております。ありがとうございます。
◆古賀 加津子(釋尼清津)
 帰敬式を終えて、今までなんとなく一日を過ごしておりましたが、4月29日の帰敬式で法名を頂き、私自身、心が穏やかにすっきりした気分になりました。これからは心静かにお念仏が出来る様、又、お寺においての聞法会に出席して聴聞に励んでいきたいと思います。


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