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第53号「三宝に帰依する」

カテゴリー:法話集    更新日:2010 年 7 月 1 日

 現代人は、老人介護だ、それから医療の充実だ、いろいろそういったことを科学的に何か解決しようとするけれども、最終的にはいまだ現代文明においても、「老・病・死」は解決できないでしょう。やはりわたしどもここの娑婆にいる以上、今の老人問題というのは大変な問題です。わたし自身も後期高齢者に入りましたものですから、その老人問題というのはわが身の問題としてかかわってきております。
 寺におりますと、お葬式を執り行うことが多うございますけれども、亡くなられた方をみると、もう八十何歳、それから九十歳という方が多うございます。どんなに九十歳になろうとも、やはりやがて死んで行かなきゃならない。しかも生きているとはいっても、寝たきりで介護されて厄介者になって生き続けておる「業」の問題がある。そういう問題を今の現代のわたしどもから見るとですね、現代科学で解決しようとしてもこの基本の問題はどうにも解決できない。
 シッダールタ太子はですね、何とかして「老・病・死」から逃れる道はないのか、この苦悩から逃れる道はないかと山に入って、五人の従者と一緒に修行されるんです。もっと言ったら、本当に精神の入れ替えですね。六年間、その修行をされるんです。だけども六年の間、厳しい修行をやっても、どうしても「老・病・死」の問題を解決できない。ついに修行をやめてですね、みんなと一緒に修行していた場所を離れて、一人みんなから離れて、尼連禅河(にれんぜんが)、いわゆるガンジス河のほとりに行って、ガンジス河に入って身を清めて、六年の間修行していたわけですからこのガンジス河で身を清めて、そしてその後、岸に上ろうとするけれども、六年の修行の後で力も衰え、ようやくですね、岸辺の草につかまって、岸の上に上がって、菩提樹の下に座られる。もう体はへとへとに疲れておられるわけですね、衰弱しておるわけです。そこへ村娘のスジャータが乳がゆを持って来て、シッダールタ太子に乳がゆを勧め乳がゆを飲んで、シッダールタ太子は元気を付けて、菩提樹の下で瞑想に入られる。そこで「そうか、これが本当の人間の姿だったのか」ということに気が付かれるんです。菩提樹の下で、いわば悟りを開かれる。
 悟りを開かれて、しばらく間、ジーッとそれを楽しんでおられた。三週間といわれているわけですね。今、その悟りの内容をね、いくら表現しても誰にも分かってもらえないだろうと。そういう時に、一応、経典では「梵天勧請によって」となっておりますが、「梵天」というのはどういう方か、勧める人があったんでしょう。お釈迦様は悟りを開かれたというけれども、その悟りの内容をぜひみんなに話してやってほしいと。初めは、シッダールタ太子はそれを躊躇するんです。こんなことをいくら話してもですね、誰にも分かってもらえないだろうと。だけど「ぜひそれを話してほしい」という梵天勧請によって、それでシッダールタ太子はかつて一緒に修行しておったその五人の比丘の所に行くわけです。
 一方、この五比丘の方では、ずうっと相変わらずシッダールタ太子が抜けた後でも修行を続けていました、すると向こうからシッダールタ太子が歩いて来た。この五人の比丘たちは「お、あそこに落後者が来たぞ」と、そうでしょう、修行をやめて落後した人がですから、「落後者の言うことなんか聞くな」と言って、五人は申し合わせていたんですね。シッダールタ太子はどんどんこちらに近づいて来るわけです。それで五比丘は初め知らん顔をしておったんですけれども、その五比丘の一人一人にですね、シッダールタ太子が「わたしは明けの明星の時に、ついに悟りを開いた。その悟りはこういう内容である」ということを初めて。それまでお釈迦様の中で悟りの内容は言葉では表現されなかったんです。そのお釈迦様の悟りの内容が初めてシッダールタ太子の口から言葉として表現されたものを五人の比丘は聞くんです。比丘は初め「あんな落後者の話は聞くな」と言っていたけれども、諄々と話されるシッダールタ太子の言葉を聞いて「うーん、そうか、人間の姿とはそういうことであったのか」と、五比丘はうなずいた。この五比丘がそこでですね、反省し、「まさにあなたこそその悟りを開かれた仏陀だ」と、こう言った。初めて「仏陀」とこういうふうに言って、「あなたが説かれたまさにそのお悟りの内容とは、それが自然の法である」。五比丘がうなずくことによって仏法は成立したんです。五比丘がうなずかなかったら、世の中に仏法なんか出てこなかった。お釈迦様が菩提樹の下で勝手に思いついた事柄であって、そんなものはお釈迦様が死んでしまったらそのものは無くなっちゃう。だけどもお釈迦様のお話を通して五比丘がうなずくことによって、この五比丘によって仏法というものが成就するわけです。 初めて、聞即信。五比丘が聞くことによって、そこに信心が成就した。それが僧です。そこにお釈迦様を入れるというので、初めてシッダールタ太子ではなくて仏陀だ、悟りを開いた釈尊だということを五比丘が証明することによって、初めてここに「僧伽(サンガ)」というものが生まれたわけですね。 仏法を聞く者の集まりができてきたんです。初めは五比丘と仏陀でもって六人です。六人の集団、それを僧伽といいます。これが六人のご門徒です。五比丘がうなずくことによって初めて、仏・法・僧の三宝が成就した。
 今、皆さんがここにおられるのはみんなこの五比丘の立場でおられるわけです。皆さんが「そうだった。なるほど南無阿弥陀仏しかないんだ」ということにうなずいた時に、仏法僧の三宝が成就する。それがそのまま報恩になるわけです。皆さんが五比丘になって、まさにそこで「南無阿弥陀仏」とお念仏を申す身になっていただくところに、この宗門と門徒会というものが成り立ってくるんだということをです。それは何よりも門徒の方たちだけでない。わたしども一人一人が法にうなずいていることです。仏法僧の三宝帰依ということはですね。どうも「三宝帰依」ということがここに、「僧」のところに殊に「自ら僧に帰依したてまつる。 まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して」こういう言葉になっているので、ちょっと引っかかってですね、何も俺が大衆を統理するなんていうことはあり得ないというが、そうじゃなくて、「大衆統理」ということは、みんなでうなずいていこうという、それがなかったら三帰依文、いわゆる三宝は成就しないんだと。親鸞聖人は仏法ということはあまりおっしゃらないんです。必ず「三宝」ということを言われます。仏法という表現の時には必ず三宝という言葉を使っています。「三宝見聞」というふうに表現をされて、必ず「三宝に帰依する」というふうにおっしゃられています。   おわり


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