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第52号「三宝帰依」

カテゴリー:法話集    更新日:2010 年 4 月 1 日

「三宝帰依」
「人身受け難し、今已に受く。佛法聞き難し、今已に聞く。此身今生において度せずんば、更に何れの生に向ってか此身を度せん。大衆もろともに、至心に三寶に帰依し奉るべし。
 自ら佛に帰依し奉る。當に願わくは衆生とともに、大道を體解して、無上意を発さん。
 自ら法に帰依し奉る。當に願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海の如くならん。
 自ら僧に帰依し奉る。當に願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無礙ならん。
無上甚深微妙の法は、百千萬劫にも遭遇うこと難し。我今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の眞實義を解したてまつらん。」 

真宗にとりまして一番大事な法要は、「報恩講」なんです。
わたしどものご宗門のご本山であります東本願寺、「真宗本廟」と申しておりますけれども、11月21日から28日まで1週間の間、報恩講がお勤めになっております。ことに25日以降の参詣の数は大変なものでございまして、ご法要がお勤めになっております所は、ご本山の御影堂でございます。この御影堂というのが大変な大きな建物でございまして、二重屋根の大きな建物、そこで報恩講が勤まっております。11月20日に、御影堂の修復ができた御奉告法要というのが営まれました。
 御影堂は、2004年から大修理をやっていたのです。その御影堂の大きさというのは、奥行が76m。幅が58m。そして高さが38m。近くに、近鉄デパートという8階建てのデパートがありますが、その屋上と大体高さは同じぐらいです。その畳数が927枚、約1000畳です。それから柱が、一人で抱きつくことができない、けやきの柱が90本。これができたのが明治28年です。それからほぼ百二、三十年たちます。その時できた建物ですから、どうしても瓦屋根の吹き替えをしなきゃならんと。それも普通のわたしどもの家で使う瓦よりははるかに大きな瓦です。それが17万5000枚という大変な数でございまして。2004年から改築工事に入ったんです。いったん瓦を全部下ろしまして、それだけで重さが、70トンと言いました、下に屋根地に野地板というような板を張って、その上に土を置いたんですね。その上に瓦を並べていったんです。 それが今は工法が変わりまして土なんか敷かないので、建物自体が非常に軽くなる。それでいい機会だから傷んだ所等直してしまおうということで、内部の改装から全部やったんです。それで5年ほどかけて、101億円かかりました。100億円の費用をかけて、このたび改修ができたのです。そして8月3日にですね、工事にかかわった各社が集まって、完工式が行われました。
 そして9月30日に、隣の阿弥陀堂に安置してある親鸞聖人のご真影を、御影堂のもとの位置に戻すという意味の還座(げんざ)式をおこないました。これに源信寺さんも何人かのご門徒とおお出かけになっておられました。
 東京教区から各寺院門徒会代表として出ておられる方たちが、本山の同朋会館に奉仕団として入って、宗門の成り立ちというものは一体どういうものなのかを研修したいということで、還座式にお参りするとともに、30日と10月1日に、なぜ「報恩」ということが言われるかということを、合計二時間ほどのお話をさせていただきました。
 その報恩ということは、恩に報いるですから、感謝しなさいということになります、ただ「感謝しろ、感謝しろ」と言われてもですね、何に感謝するのかということです。実はこの報恩ということの元はですね、「聴聞」ということであります。「聴聞で仏法を修むる」という、昔のお年寄りの方は、お寺参りの時に「仏法聴聞、仏法聴聞」ということ言ったのです。
今、こうしてお話を聞いているのを仏法聴聞。仏法を聴くのです。聴くというのは、これは耳で聴くのです、しかし、その下にもう一つ「聞」という言葉があります。仏法のお話を聴くことによって、「ああ、そうだった」と、教えがわが身に聴こえてくる。仏法のお話が、なるほどそうだったと、それを親鸞聖人は「聞即ち信知なんだ」と説明しています。「聞即信」ということによって初めて人として生まれたこと、今ここに生かさせてもらっているということの本当の意味に気が付かせてもらった時に、初めてその恩に報いたのだと頂けることなのです。
親鸞聖人の「御和讃」の「恩徳讃」というのを唱和いたしますが、それは「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし。師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」と。これは親鸞聖人がわたしどもに教えてくださった和讃なのです。
「師主知識」、そのことを私に教えてくださった方の恩徳は骨を砕きても謝すべし。親鸞聖人のお作りになった今流に言えば和歌です。このことを親鸞聖人の教えとして、「如来大悲の恩徳」を「師主知識の恩徳」もこうしていただいているわけですね。それというのは、報恩、この歌をいただいていることが報恩になるわけですね。とりわけ親孝行するような形で報恩ということではなく。
わたし自身がそこで「南無阿弥陀仏」とお念仏をいただくということが中心になるわけです。
 最初の「三帰依文」ということが言われています。これが三つの宝、「三宝帰依」。「仏法僧」という言葉はお聞きになった方はあると思うのですけど、なぜそこに「僧」があるかですね。これが実は大事なのです。
 仏法にはたくさんの経典、お経があるわけです。その中で誠の教えを説いた教えは、直接、仏と書いた『無量寿経』が親鸞の経典であると、親鸞聖人がわたしどもに教えてくださいました。
『仏説無量寿経』の最初の言葉は、「如是我聞。一時仏、在王舎城、耆闍崛山中、与大比丘衆 千二百五十人倶」。
これだけ読むと、何のことかさっぱり分かりませんけれども、これを読み下して申しますと、「私はこのようにお聞きしました。ある時、お釈迦さまが王舎城耆闍崛山の中にましまして、大勢の方たちと一万二千の人と一緒でございました。」お釈迦さまと同じ教えをいただかれた方たちでした。「その名をば、尊者了本際・尊者正願・尊者正語・尊者大号・尊者仁賢」と、実は最初に出てくるこの5人の方が、「五比丘」というのです。そのことを少しお話しさせていただきます。
お釈迦様は今から二千五百年も昔に、インドの国のマカダ国という所の王子様に生まれ、シッダールタ太子という。当時のですね、マカダはそんな大きな国じゃありません。古代国家の王子様で生まれられましたものですから、まさに大事に育てられたわけですね。同時にそのシッダールタ太子もなかなか優秀な方だったようです。それで経典にはですね、そのことが書いてありまして、青年時代になるとですね、シッダールタ太子は、サンゲ、数学、文学、それからピサ、いわゆるスポーツを示現して、既に道術を習い。大変な頭脳の、学問も良くできたし、それからスポーツもやる立派な青年であった。 皇太子がどんどん成長して立派な人になっていく時にですね。ある時、シッダールタ太子が東の門から外に、いわば散歩に出られたのです。そうしたら道端に、大勢の老人がたむろしていた。それでシッダールタ太子は、「あの人たちはどういう者だ」と、従者の人に聞かれたのです。「あれは老人でございます」「老人とは何か」「それは、やはり人はだんだん年を取ってくるとああいう姿になるのです」と教えたのです。そしたらシッダールタ太子は「わたしもそうなるのか」と。「そうです、今、青年シッダールタ太子ですけれども、やがて年を取っていくとあのような老人の姿になります」と。「わしもなるのか」と言われると、途端にふさぎ込んでですね、「もう外に遊びに行くのをやめた」と、王宮に帰ってしまわれた。それからある時ですね、また従者を連れて南の門から外に出られた。そしたら門の外に、病人が道路の所に横たわっておった。シッダールタ太子はそういう人たちを見て、「これはどういう人だ」「これは病人です」「病人とはどういう人がなるのだ」「それは生身の体を持っていたら、縁があればどんな病気にでもなり、こういう姿になるんです」と。「わしもなるのか」。それはシッダールタ太子も今は美々たる青年王子ですけれども、「やはり生身の体を持っておられる以上、どういう病気になるか分かりません。病気になればああいう姿になるのです」とこう言った。途端にシッダールタ太子はまたふさぎ込んで王宮に帰ってしまわれた。   
 ある時、西の門から外に出られたその時にお葬式に遭われた。「あれは何か」と。「あれは死んだ人を弔う式でございます」「どういう者が死ぬんだ」「いや、それは生きておる人間は必ず一度は死んで行かなきゃなりません」「わしも死ぬのか」「シッダールタ太子もやがて一度は死んで行かなきゃなりません」と。そのことを聞いてシッダールタ太子はまたふさぎ込んでですね、王宮に帰ってしまわれた。ヤショーダラー妃という奥さまがおられたんですが、その晩もう既に休んでおられた。たった一人のラフーラという子どもさんもおいでになったんですけれども、ラフーラとそれから休んでおるヤショーダラー妃にですね、無言で挨拶をして、そして5人の従者と共に白馬にまたがって王宮を出るんです。
そして山にこもって悟りを開くために、その苦悩から救われるための道を求めるんです。その苦悩とは何かと言ったら「老・病・死」ですね。人間逃れることのできない老の問題、逃れることのできない「病」の問題、それから必ず来る「死」の問題。この人間が根本的に持っている苦悩からどうしたら人間が救われるのか。


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(2023 年 7 月 12 日)