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第31号法話「凡夫に生きる」

カテゴリー:法話集    更新日:2005 年 6 月 1 日

北原了義師 西照寺御住職

2004年11月23日  報恩講にて

お経は、死んだ人に聞かせるのか
お経は、死んだ人に聞かせるためにあるのか。普段、お勤めをされるとき、私どもは、ご住職に「お勤めをお願いいたします」という時に、お経は「阿弥陀経」というのですが、非常に大事なお経です。 お経を、よく聞いていただければ、最初の言葉、『仏説阿弥陀経』というのです。「阿弥陀について説かれたお経」という意味です。お釈迦様がお説教になられた言葉を、文字にまとめたものを、お経というのです。『仏説』。この仏はお釈迦様のこと。その次の言葉が、『如是我聞』という言葉から始まっているのです。『如是』というのは「かくのごとく」。「このように」という意味です。「われ、聞く」、私が聞いたという。もし、お経を死んだ人に聞かせるものであったら、「お釈迦様は亡くなった人に聞かされました」。これだったら、死んだ人に聞かせるために、お釈迦様がお説きになったということになるけれども、お経はそうではない。「われ、聞く」、「私が聞いたのです」。私自身の身に気が付かせていただく。もっというと、凡夫の身であったということに気が付かせてもらうということです。われわれが、お経を聞いて何が分かるかというと、真宗のお葬式に、出られた方は聞いておられると思うのですけれども、「白骨の御文」という言葉を聞かれたことがありますか。親鸞聖人が初代と致しますと、二代目、三代目、四代目……八代目に蓮如上人という方がおいでになる。蓮如上人がご門徒に対して、たくさんのお手紙を書かれ、それをまとめたものを「御文」と言うのです。この御文の中で一番有名なのが、「白骨の御文」というのがあります。ここでもって、仏教のことはよく分からないけれども、八代目の蓮如上人の「白骨の御文」を聞くと、「そうだな。しみじみと思います」と言って、この御文に感嘆される方が大勢いるのです。どこで感動されるかというと、
『朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風来りぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、一つの息、長く絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親眷属集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり』。
みんなそこで、「なるほど、そうだ。後に残るのはお骨だけではないか」と感心するのですが、御文の一番最初の言葉は、案外気になさらないのです。
『それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに・凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり』。
人間の浮生な姿、昔の演歌にあったでしょう。「人間なんてものは、水にただよう浮き草のようなものだ」。それが人間の姿です。浮生という。人間の浮生な姿をつらつら、よく観察してみると、幻の如くなる私の一生涯である。

自分の人生はどこから始ったのか

皆さんは、自分の人生はどこから「始」まったのですか。「私は東京に生まれたい」と思って、立候補して生まれてこられた方はおられますか。「女に生まれたい」と思って、女に生まれた方はおられますか。生まれて、ある程度、何歳かになって初めて考えるけれども、それは考えでしかないわけです。本当の私の始まりは、父親と母親が作ったのであろうということで、父親と母親に聞いたら、「さあ?」と言う。「おまえみたいな者は生むつもりはなかった」とか言われる。親の考えで生まれたものではないのです。もし、親が考えて子どもを作ることができたら、このごろは「作る」と言いますけれども、作ることができたら、もっと立派な人間を作ったはずです。そうでしょう、親に、はむかうような……このごろは、親を殺すような子どもやら。子どもに願っているのは、「頭がよくて、健康で、心優しい、立派な人間を作りたいと思っているけれども、そんなのは出てこないです。みんな、親に背くようなものです。ということは、親の考えで生まれたものではない。父親と母親の縁がなかったら、私は生まれてくることができなかったけれども、私の命そのものは、親の考えが作ったものではないということです。自分の考えで作ったものでもない。私の出発点は幻。「終」わりはどうなるのですか。人間は、誰でも一度は死ぬということ分かっている。死んでどうなるのか。あの世へ行くのでしょう。「死にたくない」と言うけれども、必ず来る。死んでどうなるのかと言われたら、「霊魂というものがあって、霊魂がどこかに飛んで行くのではないですか」と。「霊魂は本当にある」とか「あるのではないですか」と想像するだけの話です。なかには、「ない」という人もいます。「霊魂なんかない」「本当にないか」と言ったら、「私はないと思います」。やっぱり、これも思っているだけの話。あるという人も想像、ないという人も想像。両方とも空想です。それを妄想というのです。私が終わってどうなるかということは、自分自身、分からない。
 始まりも幻、終わりも幻。「現在だけは、二つの眼で、しっかり世の中を見ています」と言うけれども、どうですか。私は、息子が一人前になって、寺の仕事は息子がやっています。時々、息子はとんでもないことを言う。何を考えているのか。自分の息子だと言いながら、息子の腹の中は分からないのです。以前、社長を殺して、コンクリート詰めにして、海に入れて、捕まって、死刑宣告を受けた人がいます。ちょっと名前を忘れましたけれども、双子です。その人がある哲学者に会って、哲学者の人のソクラテスの言葉から、本当に自分の姿に気が付いた死刑囚です。その人が、「双子だけど、私はいまだに兄貴が何を考えているのか分かりません」。そうでしょう? 双子というのは、一つの腹から生まれてきたのです。誰よりも顔かたちがそっくりです。やること、なすことが同じだから、お互いの心は分かるのではないかと思ったが、その人の手記を読んでいたら、「私は、兄貴が何を考えているのか、いまだにさっぱり分かりません」と書いてあった。同じ親から、同じ時に一緒に生まれても、お互いの思いは分からない。だから、「中」は幻です。
始まりも幻、今も幻、終わりも幻。そういうのを幽霊というのです。生きた人間が幽霊なのです。そのことにさっぱり気が付いていないでしょう。あれ、これという、自分の空想でもって物事を見ている。それを、親鸞聖人はきちんと押さえられるのです。

無 明

人間は幻の中に居る。蓮如上人は、「幻」とおっしゃいますけれども、仏教でいうと、「無明」と言います。「無明」というのは、明かりがないという意味です。明かりがないということは闇。何も見えない。自分自身の姿がまったく分からない。それを「無明」というのです。私どもは、なかなか「無明」というものに気が付かないのです、私は、京都の高台寺、豊臣秀吉の奥さんのねねが建てた寺です。「ねねの寺」で、有名です。冬に行ったら、ポスターが張ってあったのです。
 「冬枯れの高台寺の本堂に座って、冬枯れの高台寺の庭を眺めて、自らの姿を振り返ってみられたらいかがですか」というポスターが張ってあり。冬の、静かな高台寺の本堂に座って、冬枯れの庭を見て、静かに自分自身のことを振り返ってみられたらいかがですか、ということだから、ごく当たり前の、何の不思議もないポスターです。「ああ、そうか」と思ったのです。その時に、ふっと思ったのです。「私を振り返ってみませんか」という。「おれも、もう少しまともな人間だったよな」、「もう少し、根性がきれいだったらな」と、自分を自己反省して、自分を見つめているのは誰か。見られた私というのは分かります。自分自身が見えない。それを、ポスターの言葉から私を見る。「そうか、振り返って見られたものは分かるけれども、見ている私が分からない」と、高台寺の冬のポスターから「無明」ということに気が付かされました。まったく自分自身が見えてこない、闇の中。だから、自分の我(が)を立場にして。しかも、「我」からしか物事を見ていないですね。

凡 夫

今日の報恩講について、ご住職から講題をいただいたのですけれども、そこに「凡夫―ただびと」と書いてある。その一番下に、これは親鸞聖人のお言葉です。
『凡夫というは、無明煩悩のわれらが身にみちみちて、欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと水火二河のたとへにあらはれたり』。
凡夫とは何かというと、無明凡夫を気が付いた人のこと。無明というのは、「始中終、幻の私だった」ということです。何も見えない、真っ暗闇の中にいたら、頼りにするのは自分の思いだけです。自分の思うようにしたいという心が出てくるわけです。私らは、「幸せになりたい」と言うけれども、簡単にいえば、「おれの思うようになりたい」ということだけではないですか。「私が世の中をみんな思うようになったら、幸せである」と思うわけです。ところが、私どもは、なかなか思うようにはいかないでしょう。「思うようにしたい」というのは貪りの心です。思うようにしたいと思うけれども、それがいかないから、「何だ、こんな人生って」と、怒りになるのです。貪りの心と怒りの心は、裏表なのです。自分の思うようにしたいという思いが、自分の思いどおりにいかないと、それがそのまま憎しみになっていきます。それを親鸞聖人は、ここの御聖教でも、『無明煩悩、われらがみにみちみちて』と書いてあります。「欲もおほく」、これは貪りの心です。自分の思いどおりにしたいというのが、欲の心です。自分の思いどおりにいかないと、怒りになってくる。腹立ち、嫉み。腹を立てると、隣の家がよく見えてくると、「何で、あそこだけいいのか」という、嫉みの心ができて、妬みの心が多く、暇なく出てくる。それも、時々出て来るのではなく、暇なく起きてくるということです。暇なく起きてきて、しかも、それが「臨終の一念にいたるまで、とどまらずきえず、たえず」。それがわが身だということです。「なるほど、わが身が凡夫でございました」ということに気が付いたときに、それを親鸞聖人は、「地獄一定」とおっしゃったのです。「臨終の一念発起から、決してわが身が思うようにいくはずがない」苦の世界を「地獄」と言うのです。「地獄は一定すみかと」、地獄に生きるほか、生きようがないという身に気が付いてほしいということが、念仏なのです。「弥陀の本願、まこと」ということに気が付いた。「そうだった」と気が付いた時が念仏です。それを親鸞聖人は、「ただ念仏だけだ」とおっしゃるのです。

本当にお念仏をすることがありますか

私どもの真宗は、お念仏が大事だということを知っておられると思いますけれども、本当にお念仏をすることがありますか、「南無阿弥陀仏」。私もずいぶん年を取りまして、今年、古希になりました。このごろ、しみじみと年を取って、気が付いたのです。昔から、親たちやらご門徒の方でも、「お念仏を忘れずに」ということをよくおっしゃった。前は、そういうのを聞いても、「そうか、そうか。あんなのは年寄りの言うことだ」と思って、「お念仏を忘れずに」、「そうです、そうです」と言っていたけれども、やっぱり今、七十歳になって、「念仏を忘れずに」ということは、親鸞聖人が「ただ、念仏を」ということがいただけるようになりました。昔は、布団に入ると、朝までぐっすりと眠れたのですが、このごろは夜に目が覚めて、トイレに行かなければならないことがあります。殊に、新潟の寒い所ですと、冬、トイレに起きて、用足しをすませて、またもう一眠りしようと思って、お布団に入るけれども、今度はなかなか寝付かれません。そのときに気が付いたのです。なぜ寝付かれないかというと、寝て、起きて、「ああだ、こうだ」といろいろな考えが出てくる。先ほど言った、「終わったらどうなるか。どうして生まれてきたのか」。人間の計らい心、妄想の心。それが次から次へと出てくるのです。初め、「あの仕事が、まだできてなかったな。あれをしないと、こうなる。あのおやじの言うことを」と、あれこれ考えると、心の中や腹の中がわーわーとしてきて、眠るどころではない。目がだんだん冴えてくる。体は楽です。体は温かい、布団の中に大の字で寝ている。体は楽になっていながら、心の中は七転八倒する。これが、人間の計らいに行き詰まるということです。命は行き詰まりがないのです。人間は何に行き詰まっているかというと、妄想、計らい。親鸞聖人が「計らい」という言葉で言いますけれども、人間の考えの一種。今でいうと、理性。そういうもので行き詰まるのです。 こちらのこの前の、見せていただいた法話の中にも出ていましたけれども、今、日本で自殺者が三万四千人もいるという。大変な数字です。病気を苦にして自殺ということがあります。しかし、病気でないと、病気を「苦にする心」に行き詰まってしまったわけです。人間の命は、行き詰まらない。何に行き詰まっているかというと、計らいに行き詰まる。その証拠は、夜に、「ああでもない、こうでもない」。その時に念仏です、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。お念仏をする。嘘だと思ったら、今晩から実行してみてください。計らいがやむのです。計らいは、なくなりはしません。これは臨終の一念にいたるまで、計らいは続く。計らいに行き詰まっているということに、「南無阿弥陀仏」と気が付かせていただく。親鸞聖人「ただ、念仏を」というのは、そのことだったのです。ただ、念仏で、計らいでは世の中のことは解決しないのです。そのことに気が付かれたのは、お釈迦様です。お釈迦様の教えに、「そうだ」とうなずいていかれたのが親鸞聖人。だから、ここに、「弥陀の本願、まこと」ということですね。念仏を申せ、そのこと一つだと気が付いたとき、お釈迦様がおっしゃるのは。次々と、師主知識の名前を挙げて、親鸞によってはかくのごとしと結んでおられるのです。そこに、「ただ、お念仏を」と、「南無阿弥陀仏」と、お念仏をいただく。無明煩悩のわが身が、そこに生きていく道が開けてくるのです。

清沢満之の言葉

今からちょうど100年前、京都にあったお寺さんたちの学びの場所、高倉学寮とか貫練学寮という、江戸時代からの仏法を学ぶ場所があったのです。それが明治三十四年、東京に真宗大学という、日本の国としては数えるほどしかなかった大学が、巣鴨にできたのです。開講されて、その時の学監に清沢満之という方がなられたのです。もともと、お侍さんの子どもさんだったのですけれども、明治になってから武士階級がなくなりましたので、清沢満之すけという方でしたけれども、お寺さんになって、東本願寺の奨学金をいただければ勉強ができるということで、お寺に入られたのです。それで、「満之すけ」の「すけ」を取って、「満之」と名乗られました。この先生が、巣鴨の真宗大学の学監になられました。そのころ、大学の中でいろいろ問題が起こりまして、明治三十六年に学監を辞職されました。その時、清沢先生は四十一歳で、そのころは非常に結核が多かった時でしたから、奥さんも結核で亡くなられ、長男も結核で亡くなられ、もう一年前に三男も結核で亡くなられました。自らは学騒動が元で、清沢先生も大学を辞任するのです。清沢満之が、四十一歳で結核で亡くなっていかれました。六月に亡くなられたのですが、四月の文章に、『他力の救済』という短い文章です。『我、他力の救済を念ずる時は、我が世に処するの道開け、我、他力の救済を忘るる時は、我が世に処するの道閉づ。』ちょっと難しい言葉です。この方は、仏教の言葉を使わないで表現されます。「我、他力の救済を念ずる時は、」というのはお念仏するときということです。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏をする時は、私はこの世の中に対処する道が開ける。念仏の教えを忘れてしまうと、われが世に対処していく道が閉じてしまう。もっと言うと、私がお念仏を申せば、生きていく道が開けるし、お念仏を忘れるときは、私が生きていく道が閉じてしまう。
 『ああ、他力救済の念は、よく我をして迷倒苦悶の娑婆を脱して、悟脱安楽の浄土に入らしむが如し。我は実に此の念によりて、現に救済されつつあるを感ず。・・・清風掃々の光明界中に遊ぶを得るもの、その大恩高徳あに区々たる感謝嘆美の及ぶ所ならんや。』ここで、本当にお念仏に生きることに、喜んでいかれた。感謝していかれた。まさに、それが法号です。「身を粉にし、骨を砕く」ということです。もっと別な言葉で言えば、苦労するということです。「この仕事をするのに、骨を折った」というのは、苦労したという意味でしょう。「身を粉にし、骨を砕くほどの苦悩の中を生きていける」というのが、如来大悲の恩徳。師主知識の恩徳ということを、親鸞聖人は、「身を粉にして、骨を砕く」と、表現されたのです。だから、地獄一定の生活ができる。それが真宗の教えであり、報恩講の意味だと思います。まさに、清沢満之の場合は、念仏によって生きていく道が開けてきたと表現しておられるのです。
 以上で、終わらせていただきます。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」


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(2023 年 7 月 12 日)