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第51号法話 「後生の一大事」

カテゴリー:法話集    更新日:2010 年 2 月 11 日

 前回、お話しましたように「道路で白骨を見てびっくりした」このことは、皆さん方がよく言われる。ご近所の方が亡くなられた通夜葬儀のとき、びっくりされるのと同じことだと思うのです。死というものに直面しているのです。だけど自分の死には結び付けられない。そして「若いのに可愛そう」とか、「お年寄りだから、まあおめでたいね」とか言っている方がおられますが、亡くなられた方にとっては大変失礼なことではないでしょうか。百歳まで生きたのだからおめでたいね、二十歳で亡くなると、若いのに可愛そう、まだまだやることがいっぱいあったのにと、その方は二十歳まで一生懸命生きたということでしょう?百まで生きた人は百歳まで一生懸命生きられたということじゃないですか。だから何歳で亡くなっても、亡くなるということには変わらないということだと思うのです。
「無常」という言葉で言いましたけれども、これは、煩悩のことです。欲・怒り・愚痴はいつ何時、私達に襲ってくるか分からない。それが「無常」であって、それを避けようとしても避けられない、ということだと思うのです。
 先日、門徒さんのお話ですが。その方はガンを患っておられましてね、治療で月に1回病院に行って注射を打っておられるのですが、ここの処ちょっと思わしくないので、手術をするかどうかで、その方がずっと悩んでいたのですね。ところがどうしても手術はしたくないと本人が言うので、そのまま治療をしていたのですが、先日、お子さん達に連れられてお寺詣りの旅行に行かれ、歩いている時、ばったり倒れ、みんな驚いたのですが、どこも怪我はしなかった。なんで怪我をしなかったかというと、着ていた洋服のボタンが1つ石の間に挟まって、それで避けられたというのです。そうしたら周りの方が、「それは仏さんが助けてくれたのだから」という話をしたのですね。その方は、「ああ、私は仏さんに守られているのだから、手術します」という。「阿弥陀様から私が、まだまだ元気でいなさいと言われたから、こうやってお内仏(お仏壇)に毎日手を合わせているということが、よほど良かったのでしょうか」というふうに言われたんですよ。
 一瞬なり本願を知らされたということだと思うのですよね。自分は本当に、阿弥陀様から生かされて、こうやっているのだから、ガンになったのも、やはり治す努力をしなければいけないのだ、ということだと思うのです。そこが大事な願だと私は思うのですよね。それはたった1つのボタンによって助けられたのかもしれないけれども、その方はそのボタンじゃなくて、阿弥陀様に結びつけた、ということだと思うのですよ。そういうことが私達には大事なことじゃないでしょうか。それを感じたときに初めて、お内仏(阿弥陀様)に手を合わせましょう。私達はいつも仏様に手を合わせるのかというと、頼み事、ご報告じゃないですか?自分が生かされているということで感謝して手を合わせる事が大事ではないでしょうか。
 話を元に戻します。白と黒のネズミが出てきた。これは私達の昼と夜を表しています。一刻の休みもなく一生懸命働くというのが私達じゃないですか。要は、藤蔓がネズミに食べられて細くなっていく、それを置き換えれば、腰が曲がり、髪の毛が白くなり、歯は抜けて耳は聞こえなくなる、目は疎くなるということ、人間の老いの姿をここで表しているのではないでしょうか。お釈迦さまがなんで出家されたかという話は聞かれたことがあると思います。
 ここに一つの悟りを開くための問題があったのだと思うのです。こういう言葉をご存じでしょう?「四門出遊」文字で書くと分かりますが、これはお釈迦さまのお話で、簡単にお話をすると最初に東の門を出たらそこにお年寄りがいた。それはお釈迦さまになる前ですから王子様の時です。その王子様が家来に、この人はどういう人なのか、と聞いたら、家来は、人は年を取ると体は衰え、気力は衰え、立ったり座ったりするのに他人の手助けがいるようになる。目が見えなくなり、また耳が聞こえなくなる、いろんなことをすぐ忘れるようになってしまい、残りの命がいくらもない、これを「老い」と言うのです。これが老人ですよ、ということを教えたのです。東門が老人。南門には病人、西門には死者がおり、生まれた者が、いつかは老い、病み、そして死を迎える。それは私たちの周囲に普通に存在することであることを不安と恐れを持たれた。そして北門を出たときにお坊さんがおられて、非常に安らかなお顔をされていた。ということで人間の無常をここで感じたのです。それで、「無常」というのに対して、お釈迦さまは悩まれたのです。
 そして今度はこの「無常」をどうやったら取り除けるのか「老人になりたくない」「病人になりたくない」「死人になりたくない」と一生懸命考えたけど、人間はどうやっても避けようがない。それならば受け入れるしかないだろう…と気がつかれた。これが「四門出遊」という話です。
 又、白骨の御文の中に出てくる、「朝には紅顔、夕べには白骨」ということです。私達は今、生き生きと生きているかもしれないけど、明日はもう白骨となる身ですよ。それをよく考えなさいよ。それを考えたときに初めて、自分は何をしたらいいのか、他人様とけんかする、夫婦でけんかする、そんなことをやっていていいのか、ということになるのではないでしょうか。
 この「後生の一大事」というのは、われわれに、のしかかっている話だと思うのです。なかなか自分の後生の一大事を考えるということは非常に切ないというか、何を考えたらいいのか、今自分がここでガンになったら、家族はどうするのだろう。家の人はどうなるのだろう。家内がガンになったら私はどうなるのだろう。これは切実です。ガンだけじゃない、痴呆症とかの病気の看護、どれだけ大変か分からない。そういうことを考えれば身近な話ですよね?
 でも、私達はいつまで経っても100パーセント元気でいたいのですよ。私もそうなのですけどね。ところが何かやると、物忘れが多いのですよ。今日の法話においてもそうです。文章を作るのに時間がかかって、一生懸命覚えようとしても全然覚えられないのです。悲しくなってきますね。ただ、文章を自分でコンピューターに打ち込んでいるので、筋が分かっているから話せるのです。皆さんもそういうことを感じるのではないでしょうか?物忘れが激しいって。それと新しいことに挑戦をしなくなる。これは私の最近の状況ですね。
 本当にお寺の仕事を15年間、やってみて、つくづくと感じたんです。住職の考え方でお寺というのはこうやって変わるものだなということを、実際知らせてもらいました。これは皆さん方のご尽力があったからこうやって変えられたのです。いくら私が永代経をやりますと話しても、おひとりも、ご門徒が見えなければ出来ないことです。
 この間、法話会の時にあったのですが、ひとりもいない所で法話をするほうがいいのだという。そういう練習をしなさいと怒られたことがあるのですが、やっぱり人の顔を見ながらやったほうが楽しいですよね。
 法事のときに、私が話をするのですが、無反応の方達が多いんですよ。あれはやりづらいですよ。ちょっとでも、うん、うんとか、うーんとか、やってもらえればいいのですけど、無反応で黙っていられると、何か今日の話は分かりづらいのか、おかしいなあと思いながらやるときがあるのです。そういうことがありますから、皆さん方もやはり、話を聞く…今日総代さんが話されましたね。真宗門徒は、一生涯聞法するということを。これは私も住職になって最初に言われたことです。
 あなたは真宗門徒になったならば。一生涯聴聞しなさい。最初それが分からなかったのですよ。聴聞なんて言葉はね。何だろうと思ったら、法話を聞くことですよという。勉強は、もう学校を出たらやりたくないのに、まだやらなきゃいけないのか、と思っていたのですが、そうやって法話を聞いていると、だんだん法話というのは1つの幹があって、それに枝葉が出ていて、その枝葉を話していく内に、枝葉から話が幹に入って行くと言うことです。するとその法話の中身が分かってくるのですよ。
 当寺のご門徒さんの中にも1人おられます。最近法話に凝られている方で、世話人さんになってから法話を聞くのが大好きになった人ですけど。又、聞いていると非常に気持ちの良い時と、気持ちの悪い時があるのですよ。自分の心の中を見透かされているみたいな時がね。そういう時はいやだな、と思うのです。けれども、皆さん方もこうやって、お寺に法話を聞きにこられると、いうことは、いつも同じ人が多いですから、その中の1人になってきて居るのではないでしょうか?私はそう感じますが。
 今回はお釈迦様を譬えに出しましたけど、今度は親鸞聖人の教えの言葉の中からお話をしたいと思います。
 親鸞聖人の『歎異抄』を読まれる方が非常に多くなってきているということが言われています。『歎異抄』というのを一度読まれると、皆様がたも、どこか心に当たる箇所があると思います。 真宗門徒はこういう話を聞き、それを自分の身に振り替えて見るということが大事なのではないかと思います。ここから玄関を出て忘れる…忘れちゃっても気にしない、ところが何回か来られているうちに、同じ話がどこかであるんですよ。「あれ?」と思ったときがその方の本当の聴聞になるのだと思うのです。   
  どうもありがとうございました。


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