煩悩 (80号)
煩悩が
そのまま
喜びの
種となり
貧(とん)瞋(しん)痴(ち)疑(ぎ)慢(まん)見(けん)、この六煩悩に日夜踊らされてきた私たち。 しかも中々素直に己を見つめ直すことの出来ない私たち、それがご縁に恵まれ、仏光に照らされて、どうしようもない私の姿に気付かせて頂けた時の、恥ずかしい私の姿。この様な者こそ、平等の救いを誓われた法蔵菩薩の弘誓を聞かせて頂いた時に、こんな私のために、有難さと、喜びで胸がいっぱいになるのです。
今やレジャー産業化している「占い」。 それは不安の解消というよりは煮詰まった日常をゲーム感覚で楽しむための手段に近いという分析もある。でも、世の中には、人生の転機とか、日常の心配事などを、占いではなく仏典や聖書、古典名著を読み、考え、念じることによって決めていきたいという人がいる。かけがえのない自分の人生を「占い」で人によって決めてもらうのでなく、自分で見直し、自信をもって生きていきたいものです。