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同朋大会に参加して 

カテゴリー:コラム    更新日:2017 年 7 月 1 日

感 話
【手島修司門徒】
 5月2日に、長谷川先輩と5名の方で、文京区で開かれた東京教区同朋大会に参加をする機会が得られましたので、そこに参加してその中であったお話を通して、今日まで私の回りで起きたことをお話していこうかなと思っています。
 大会自体は文京区民センターで、千名近い方が参加していました。正信偈を皆さんで拝読していくときには、本当に私も背筋が伸びて、声が大ホールの中に響いて、とても気持ちよい時間を過ごすことができました。
 講演会が始まり、中島岳志講師で、この方は今年の3月まで皆さんも見ていたかと思いますけれども、テレビ朝日の夜10時からやっているニュースステーションという番組で、月曜日か火曜日のコメンテーターをやっていた方でした。政治学者ということで、その時々に起きる政治のお話をしながら、鋭く、分かりやすい解説でお話をしていましたので、同朋大会のポスターに掲示されてあり、中島さんのお話を聞けるんだということは、私の俗な見立てで言うと「どんな人なのだろう」という、気持ちで参加したようなところです。
 本来は、ここに中島さんが来て、お話をするのが一番なのですが。よく考えてみれば中島さんの話を、私が皆さんに伝えていくことは、どう考えても正しく伝わるわけがないのですが。でも坊守さまから話があったときに、間違っていたら後でご住職に訂正してもらえばいいのですけれど、私が2日からずっと悩んでいて、出た答えは、それは別に中島さんの話を細かくしていって皆さんに伝えるよりも、自分がそれを受けて感じたことを阿弥陀さまの前で話せばいいのだろうなと。その話が皆さんに何か私と一緒に伝わっていければいいかなと思って、今ここに立っています。
 中島さんの話を聞いて感じたことが二つあります。
一つは、結論から言うと、親鸞聖人について、もっと勉強という言い方はおかしいのでしょうけれど、親鸞さんはどういう人なのだろうということを、自分なりにいろいろ機会を見て知っていくことが必要だなというふうに思うようになりました。
 中島さんという方は政治学者であるのですけれども、私が知らないだけだったのですけれども、今はこの真宗大谷派の教学会議の先生なのです。親鸞さんについての研究については本当に第一人者なのです。だから、なんで政治学者の人が『私と親鸞』というタイトルなのです、けれども、そういうお話をしていくのかなということでお話を聞いていると、どんどん引き込まれていきました。
 中島さんでも親鸞聖人の言う、教えの中で「自力と他力」というお考えがあります。特に他力という言葉。この他力ということが中島さんにしてもよく分かっていなかったことが、中島さんの身に起きたことで、この他力の教えを感じることができたというお話でした。
それはどういうことかと言いますと、中島さんの2カ月になるお子さまが、大みそかに高熱を発して診療所に駆け込んだそうです。でも大みそかなので、できることは本当に限られていますが、BSウイルスという、非常に熱とせきを発する病気に掛かってしまった。結果、お薬をもらって帰って、ただ様子を見てくださいというだけであって、ただ、ただ祈ってばかりの時間が過ぎ、両親はもう何もすることが出来ない。そんな中で5日間過ぎたときに、そのお子さまの熱が下がったそうです。そのときに子どもを抱きしめて、中島さんがふと子どもの好きだったアニメの歌を歌った瞬間に、涙がボロボロこぼれて仕方なかった。そんなお話をしていました。ここから先は私が説明するよりも、中島さんが書いた文章がありますので、ちょっとご紹介をしていきます。
 冒頭の歌を口にした途端、私の中で大粒の涙があふれだした。なんとか止めようとしても止まらない。子どもはぽかんとした表情で父の泣き顔を見ている。どうしたのか、なぜ涙があふれるのか、しばらくの間、自分で自分の心が捉えきれないでいた。「あ、そうか」とふいに気付いた。この5日間は、自分は祈り続けていたのだ。祈っているという自覚は全くなかった。祈る余裕すらなかったというのが実情だった。ただただ胸が締め付けられ、動揺していただけだった。私は無力な自己を子どもの前にさらすしかなかった。このときに他力の念仏という概念が起きたのでは、自分の無力感を受け止めたときに、念仏が心から発せられた。
こんなお話をされていました。私はこのお話を聞いたときに、「他力って何なのだろう」と、「自力って何なのだろう」と自問が湧いてきました。他力本願という言葉があります。どちらかというと、人に任せて後はという、言葉はそうに使われていますが、真宗では実はこの他力本願というのは全然違う意味なのです。そんなことから、やっぱりもう少しこのことを知っておく必要があるかなと思ったのです。
 もう一つ親鸞聖人は、特に鎌倉時代の荒れた時代の中でお過ごしになっていて。一つの悟りの方法としては、とにかく修業して修業して、自分の心を無我にして悟りを開くというのが一つの教えだったそうなのですけれども、いくら煩悩を去ろうしても、人間は去っていくことはできません。
 私も先日、畑を借りているのですけれども、その毎年の賃料がある契約会社から九万五千円なんていう金額がボンと来ました。年金生活者にとっては一回で九万五千円というのは、非常にきついのですけれども、底のあたりに割引チケットというのが入っていて、私は私なりにこれを使えば安くなるのだなというふうに思ってしまって。それで問い合わせしたら、四万六千という話になった。安くなったと思ったのですが、そのときに女性は「いや、それは1区画です。提示したのは2区画なので九万五千円です」と言われたのですね。そのときに私は図らずも「え、これってサギじゃないの」と言ってしまったのです。そのときに、やっぱり自分の煩悩って消えないのだな。いくら後から振り返ってみると、実は丁寧な説明は書いてあるのです。でも自分の九万五千円をなんとか安くならないのだろうか、いっぺんに払えないということにとらわれてしまっていた自分は、とてもそのことに。自分が動くことで相手を傷つけてしまうということはいっぱいあるのだな。そういうやっぱり自分でも、親鸞聖人は阿弥陀さまに南無阿弥陀仏を唱えていけば許してもらえる、全部受け入れてくれるそんなことを考えた次第です。
 最後に、金曜日、昨日まで京都に仕事ができまして、京都に行けると聞いたときに、ふいに数珠とこの赤本を持って、そうだ本山に行ってみようと思ったんです。駅も近いし、夕方の4時半の新幹線だからゆっくり帰って来られると思って。暑かったのですけども、天気も良かったのです、本山に着いて阿弥陀堂と御影堂に座った途端すごく涼しかったのです。ヒヤッとした、もちろん人も沢山居たんですが、座っているだけで本当に気持ちが良くて、それで手を合わせて念仏を唱えていると、どんどん涙が出てくるんですね。今思い出してもちょっと涙ぐむぐらいです。67歳になりましたけど、涙もろくなったのは事実なのですが、座って自分一人つぶやいているだけでもこんなに気持ちいいことがあるのだと。空気がとにかく気持ちいいんです。
そんな経験をさせていただくことができたのも、そのお話を聞いたり、ここには妻と妻の母が眠っていますけれども、そのご縁を与えていただいたご住職や、今日ここに「お前立って何かしゃべってみろ」というそのご縁をいただいた坊守さまの、それは広く言えば阿弥陀さまなのかもしれません。そんなことをちょっと、時間が過ぎてしまったのですけれども、その同朋大会に参加して私の身の回りに起きたことです。
まだまだ親鸞さんの本当の姿も見ているような、そんな偉そうなことを言えるわけではありません。でも、これを機会にそういったことを見てみよう、考えてみよう、いつも自分のこの小さな穴から自分ばっかりで、自分を中心にして、先ほど言ったように九万五千円が何か安くならないかという、このうろうろしている自分も自分なのだと。それを阿弥陀さまが見てくれているのだという、後ろを見て、いや、前を見てこの辺にいるかもしれないということを、常に自分で意識していくことにしようかなというふうに思っています。
最後になりますけれど、この三帰依文を仏壇の上に張ってあるのです。毎日一回必ず読もうというふうにしています。1分で終わるのです。そうすると、「ああ、今日も一つ終わった」と思ってカレンダーにチェックしたりして、そんな日々を過ごしている者のお話でした。どうもご清聴ありがとうございました。
【長谷川 幸門徒】
 同朋大会に参加して、その同朋大会はどういう意味かというと、東京教区というのは広いのです、長野あたりから来ている人もいるし、茨城とから来ている人がいっぱいいます。今年は文京シビックホールで行われました、僕が一番初めに参加したのは日比谷公会堂なのです。もう十何年も前になりますけれど、毎年始めにこういう感話を2人ぐらい出て。その後に法話をいつもいただくのです。今年はゴールデンウィークの中間に当たったせいか、やっぱりいつもより空席が多かった。日比谷公会堂でやっているときは二千人ぐらいの人が来ていました。東京フォーラムで二回ぐらいやりました。あとは文京シビックホールです。
 僕は毎年そういう所に行きますけれど、いろんな先生が法話をするのです。親鸞聖人のこういう生い立ちとか、また親鸞聖人の書いたものとかいうのはね、親鸞聖人の時代に漢文で全部書いてあるのです。お経も全部漢字で書いてあるから、親鸞聖人の時代に学校もないのにどうやって覚えたのかなとつくづく思う次第です。東京二組でも同朋会というのはあるのです。その同朋の会の人も今回相当来ていまして、仲間に久しぶりに会った同朋会の他に門徒会というのがあるのです。東京二組では門徒会に私は出ていますけれど、門徒会も大きいんです。東京二組は今30ケ寺ぐらいあるのです。そういう人たちが一カ所に集まれない場合は、A班とかB班とかC班と言って集まるようになっているのです。この地区はC班の足立、荒川、葛飾の仲間の門徒が集まって、勉強したりしています。だからそういう意味では今回大勢の仲間に会えて、結構楽しかったです。以上です。


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(2023 年 7 月 12 日)