門徒が気になる
なぜ真宗には般若心経を読まないのか
確かに大方の仏教宗派では、「般若心経(はんにゃしんぎょう)」を読誦(どくじゅ)しますね。このお経も素晴らしいのですが、我々の浄土真宗ではお勤めをしません。それは拠り所とする経典がはっきりとしているからです。
当派は浄土三部経(じょうどさんぶきょう):【無量寿経(むりょうじゅきょう)・観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)・阿弥陀経(あみだきょう)】です。
ご門徒さんが、こんなことを言った方がありました、「住職、般若心経って有難いのですって、あのお経を毎日あげていると、家の中が何でもうまくいくらしいのですね。お金も儲かるし、病気もしないし、長生きもできるし、結構なお経さんらしいですね。どうでしょうか、私たちもお勤めしたらいけませんでしょうか」って。
そもそも「般若心経」というお経は何が説かれているのでしょう。「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソギャーテー、ボージーソワカ」と最後にありますが、それは「行け、行け、悟(さと)りへ行け、完全な悟りへと行こう、悟りよ幸(さち)あれ」ということなのですが、いったい何を悟るのでしょうか。
「一切は空(くう)であるということを知る智慧を得て、あらゆる執着を捨てて、悟りを開け」ということが説かれているのです。
それを簡単に言いますと、「諸法因縁 無自性(むじせい)空」ということが中心に説かれています。「諸法因縁」とは、「この世のことは一切、偶然にできたものは一つもない。因と縁とによってできている。しかし、その因縁が尽きたら、すべてなくなる。だから「空」であり。この世は因縁の世界、無常の世界で、何事もあてにならない、真のない世界であるから、そのことに氣づき、執着を捨て事実の道を求め悟りなさい」と説かれたものであって、このお経を毎日あげれば、病気が治ったり、お金が儲かったり、自分の都合の良いようにいくという、そんなことではなく、むしろその逆を説いているのです。
だからこのお経の通りにすることは、我々煩悩具足(ぐそく)の凡夫(ぼんぷ)にとっては、とても難しいです。有難くも今、浄土三部経に説かれた「阿弥陀様の願いによって、この凡夫が救われてゆく」という教えであってこそ、私たちはこの真宗の道をあゆむことができるのです。 花すみれ 5月号より朗読 酒屋八重子
