本音と建前
私たち宗派では死刑反対と唱えています。先日も死刑が執行されたとき反対の声明が出ました。 私は保護司を拝命してから死刑についてが問題でした。今でも結論が出ていません。なぜか犯罪を犯した対象者を担当した時、どの対象者も自分が犯した事件について罪が重いほど反省し、犯してしまったことを悔いている人が多いのです。親鸞聖人は歎異抄に「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」と仰っておられます。生きていれば宿善も悪業もやってくるものです。もし私に悪業をもよおせばどの様な態度をとるかわかりません。罪を憎んで人を憎くまずとも言われていますが頭では分かっていてもはたして?
人には本音と建前がありますが、建前は死刑反対と言いますが、はたして本音はと言われると疑問です。自分に関係がなければ反対、自分に関係していればというのが人間ではないでしょうか、だから私はまだこの問題に結論が出せないのです。