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お盆の由来について

カテゴリー:コラム    更新日:2013 年 10 月 1 日

 お釈迦様の弟子で神通力第一といわれた目連さまは、ある日、亡き母のことを思い、その神通力で母を探してみました。すると、悲しいことに母親は餓鬼世界におちて苦しんでいるではありませんか。
 餓鬼世界の苦しみは耐え難いほど大きく、食物はもとより、飲み物もありません。母親はやせ衰えてみるかげもありません。母親思いの目連さんは、気をとり直し、鉢に盛った、ご飯を母親にたむけました。ところが母親がご飯を食べようとすると、ご飯は炎になり食べることができません。目連さまは大声で泣き、悲しみの涙にくれました。困りはてた目連さまは、お釈迦さまに一部始終を話しました。するとお釈迦さまは答えられました。「目連よ、お前の母親の罪は重く、お前の力ではどうすることも出来ない。親を想う誠が天地を動かすとしても、天地の神々をもってしても、どうすることもできないであろう」「では、どうしたら母親を救う事が出来るのでしょうか」目連さまは重ねてお釈迦さまに教えをこいました。「目連よ、母親を救うには、この世の多くの、すぐれた僧たちの力にすがるしかないのだ。幸い多くの僧が集う僧自恣(そうじし)の日も近い。この日に、様々な食物、果実、器、香油、などを供えて、大勢の僧に供養するならば、大勢の僧の力によって、お前の母親は救われるであろう。」そして目連さまは、お釈迦さまの教えのとおり、大供養会を営みました。
 この時の模様を経典では、次のように述べています。「その時この大法会に集まった、目連ならびに諸菩薩たちは、大いなる喜びにつつまれ、目連の悲しみに泣く声はたちまちに消え去った。この時、目連の母親も一却という長きにわたって受けていた餓鬼の苦しみから脱出することができたのです」
 母親が救われ、喜んだ目連さまは、お釈迦さまに申しました。「お釈迦さま、ありがとうございました。私の母は仏・法・僧の三宝の功徳の力を身につけました。これは多くの僧たちの不思議な力によるものです」お釈迦さまは答えました。「ここに集う私の弟子たちよ。毎年7月15日には、父母を慈しみ感謝の誠をつくしなさい。同時に七世の父母を憶いおこし、盂蘭盆会の法会を営みなさい。仏ならびに僧に供養しなさい。父母の恩に報いなさい」お釈迦さまの説かれた教えを聞いた、目連をはじめ弟子たちは、心から、その教えを喜びました。
 お釈迦さまの時代はもとより、亡き父母にたいする追慕の想いは、いつの時代も変わりません。私たちが今日あるのは、父母のお陰であります。経典の中で、お釈迦さまは「十方の僧を招いて供養せよ」と説かれています。つまりお釈迦さまは、自分の母親だけではなく、すべての僧に施(ほどこ)しをすることが大切だ、と説いたのです。その結果として母親が救われる、これがお盆のもとの考え方でした。自分の母親だけを救うことにのみ、とらわれていた目連さまに「それは利己的なことであり、もっと広い世界を見よ」と説かれているのです。母親の恩は深いが、そこにとじこもってはならないということです。大切なことは先祖供養ではなく、仏教の教えを聞くことではないでしょうか。
真宗のお盆
 現在、他宗でおこなわれている日本のお盆行事は「盂蘭盆経」の目連さまが餓鬼道の母を救った話と日本人の先祖崇拝が結びついたものと言えます。
目連さまの母を想う孝行心の心は大切の事です。しかし、親を想う心と「精霊棚」をまつったり「迎え火」や「送り火」をたく行為は結びつかないのではないでしょうか。他宗においては、お盆も、先祖供養としてとらえています。しかし、真宗においては、故人は阿弥陀如来の功徳によって往生しているのだから、お盆といっても、「施餓鬼会」などもおこないません。「餓鬼道」におちている先祖などは、いるはずはないからです。私たち真宗門徒は、お盆を機縁に阿弥陀如来の慈悲に感謝し、仏法を聞き、念仏を喜びたいものであります。
 このことから、先祖が喜んで称えられた念仏を、お盆を機により深くあじわい、聞法の場に座ることが大切なのです。   


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(2023 年 7 月 12 日)