門徒の一言
「私にとってのお寺」
お寺と言いますと思い出すのは幼い頃、家族とお盆にお寺さんへ行ったことが思い出されます。まだ小さかった為、お線香をあげたりお辞儀をしたり周りの人と同じ事をするのが不思議に思ったりもしました。
結局お寺さんへは、お盆、お彼岸、法事と両親はきちんとこなしていた事が思い浮かびます。大分、私が大きくなっての事ですが、そのお寺さんのお墓は、本家のお墓だと分かりました。
実家には、実父が亡くなるまでお墓、仏壇はなくお寺さんとの接点は薄かったように感じます。従いまして仏壇への手を合わせ、お線香を上げることは日常の行いとしてはありませんでした。
実父母が亡くなった後は、法事の際、御住職の話を聞く機会を得ることとなり、その話では、亡くなった人が親族を一同に会す機会を作ってくれていること、また人の「いのち」は生かされているので粗末にしてはいけないと云う事を話されていました。その話を聞いた後は「その話が胸に残り本当にそうだ」と思っておりましたが、
日を重ねる毎に忘れていくのが常でした。
7年前に夫を亡くして、大変急のことだったので、心の準備もないまま葬儀を行ったのですが、何かあっけない感じで事が進んで行ったように思います。葬儀が終わった後もお寺を探し仏壇の購入など忙しい日が続きました。その後、やっと落ち着き日々の仏壇へのお線香や供物が日課となりました。しかし、何か心の中にポッカリと穴が空いた様な虚しい気持ちがどこかにありました。
その後、初盆、法事など回を重ねてきましたが、現在はお寺の行事、第二土曜日の写経・寺由寺在会に出席しています。写経では、集中することが出来、雑念から解放され清々しい気持ちになれます。また、写経の後の寺由寺在会では楽しく、また充実した時間を過ごさせて頂いております。と申しますのは、御住職・坊守さん・門徒さんとお話が出来、大変参考に成り、心に留めようと思うことに出会えるからです。私は、どちらかと言うと自主的に外へ向かうタイプではありませんでしたが、源信寺の行事を通じて積極的になれたと思います。私にとっては心の拠り所となっております。皆様も是非御一緒に集まって輪を広げていきたいと思っております。今後ともによろしくお願いいたします。
門徒:古賀加津子
