« »

仏事を何故するか

カテゴリー:コラム    更新日:2012 年 4 月 1 日

 先日あるご門徒の葬儀を務めた時、とても素直な質問を喪主さんから頂いた。それは「人間って、あっけないものですね」「こうゆう仏事というのは、何故するのでしょうか」という問いでした。私は次の話をしました。「本当にあっけないですよね。でもだからといって、はかないとか物足りないということではないでしょう。この一度しかない、代わる者のない、貴重な「いのち」を、お爺さんは生き切られた、又、残された私たちも、いま生きていると云う事を、亡くなったお爺さんが身を持って教えてくださっているんです」「仏事とはまさしく、そんな私たちにとっての貴重な教えとなって、お爺さんに出遇う行事なのです」「亡くなったからといってお爺さんとの間柄が消えてしまうわけではないです。仏事とは、その意味では、亡くなった方とのお付き合いの一つのスタイルなのです。その人なりに亡き人との関係を保っておられるのなら、それでいいということです」法事、仏事とは、いわゆる「追善供養」として、亡くなった方に対してお経をあげてもらう行事と考えている方が大変多いですが、本来は「仏に出遇う行事」「亡くなった御先祖に出遇う行事」なのです。
 「仏」とは何かと問われれば、釈迦牟尼仏を語らねばなりませんが、お釈迦様を通してあきらかにされた「真理」その真理を悟る道が、今日に至る2500年もの間、限りない人々の救いとなってきたから「仏」を知ることが必要なのです。お釈迦さまが説かれた真理を「法」といい、法は自然(じねん)であり、全ての人の上に働いていて、それを拒絶することはできない。その事を知らず、自然の法にそむき、人間の勝手な思惑や欲望(煩悩)をもって幸せになろうとしてきたのが悲しいかな人類の歴史でもあります。あるとき拒絶できない普遍の法は警鐘(けいしょう)を鳴らすか如くに人を苦しめ、悩ませてきた。その警鐘を先人たちは「ご催促」と頂き、私のうえに働いている「法」を学ぼうとしてきた。お釈迦さまが明らかにして下さった「法」、お釈迦さまがなさった事如く、残された教えが、いまの私の問題に応えてくださる。それはあたかもお釈迦さまが、目の前におられて教えを説いてくださるのと同じ「働き」をいただくことができる、そんな教えが働きとなって永遠のいのちを持たれた存在を「仏」と呼ぶのです。だから、御家庭の法事、仏事とは、残された私達へ懸けられた亡き人の本当の願いを改めて聞き、いまも共に生きてはたらく諸仏の御一人に成られた御先祖に出遇う場であります。又、すでに亡くなった方、いま生きている者、これから生まれてくる者、の縦横にいずこまでも、永遠無限に連なる、自分自身もその一人である「いのちの大いなるつながり」に思いを致す場であり、その手助けとして、御縁あるお坊さんに来てもらって「仏の教え」を説いて頂く機会なのです。


コラムの一覧に戻る    トップページに戻る

源信寺について

五明山源信寺について

東京都足立区千住大川町40-6(地図

お問合せはこちらから

TEL : 03-3881-7506    FAX : 03-3881-7694

真宗大谷派 五明山 「源信寺」(北千住)
おろかなり おろかなり

源信寺に咲く花


(2023 年 7 月 12 日)