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お盆の意義について

カテゴリー:コラム    更新日:2012 年 9 月 30 日

 俗に、お盆といゝますが、正しくは盂蘭盆(ウラボン)といゝます。 『仏説盂蘭盆経』から起こったものです。
 この経には、お釈迦さまの十大弟子の一人に目連尊者という人がおりました。この人は神通力第一と称され、特に孝心の深い人でありました。 その目連尊者が神通自在を得て三世(過去・現在・未来)を観た時に、いたましいことに、尊者の亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることが判りました。目連は深く悲しんで直に鉢に飯を盛って母に捧げました。母は喜んでそれを食べようとすると、たちまちその飯は火焔と燃え上り、どうしても食べることが出来ないのです。鉢を投げて泣きくずれる母を尊者は悲しみ、「どうしたら母を救うことが出来ましょうか」と釈尊にお尋ね致しました。その時、釈尊は「それは、そなた一人の力ではどうにもならぬ。この七月十五日に、飯、百味、五果等の珍味を十方の大徳衆僧に供養しなさい。供養の功徳は大きいから、亡き母は餓鬼道の苦難からまぬがれるであろう」と仰せられました。
 目蓮が、釈尊の仰せに従ったところ、母は、たちどころに餓鬼道から天上界に浮ぶことが出来ました。この喜びの余り踊ったのが盆踊りの始まりだと言う人もあります。
 盂蘭盆(ウラボン)は、この目連尊者の故事から祖先供養の日となって今日に相続しているのですが、一体これは私達に何を教えているのか、味わってみましょう。
 ウラボンという意味は倒懸(とうけん)ということです。即ち「さかさにつるされる者」ということです。ですから『盂蘭盆経』とは「逆さにつるされる者を救う方法を教えた経」ということです。果して、逆さまにつるされて苦しんでいるのは目連の亡き母だけでしょうか。
 お釈迦さまは私たちの常識の中に4つのさかさまな迷信がある、と指摘されています。
 これを「四顛倒(してんどう)の妄念」といい、その四つとは、
(1)無常なのに「常」なるものだと思っている
(2)人生は苦なりなのに人生は「楽」しいものだと思っている
(3)無我なのに「我」というものがあると思っている
(4)人間の肉体は不浄なのに「浄」らかなものと思っている
 その中でも私たちの命は無常なのに、いつまでも生きておれるのが、常だと思っています。
 毎年、帰省ラッシュで報道されるのは、家族が乗った車が事故を起こし、死亡するという悲劇です。亡くなった先祖の墓参りのために、帰省する自分たちがまさか死なねばならないとは、夢にも思っていなかったはずですが、私たちの命は突然、終わりを告げます、いつどうなるか、わからない。
 諸行無常なのです。ですが、明日も生きておれる、今年も生きておれる、定年までは生きておれる、80歳ぐらいまでは死なんだろうと思っています。
 まだまだ生きておれると思って真剣に自分の人生に向き合おうとしません。
そういうことからいうと、ウラボン・・さかさにつるされる者とは目連尊者のお母さんだけではなく何時までも生きておれると思っている私のことなのです。
 お盆は、亡き祖先をご縁として、自分もやがて死んでいかねばならない、この身なのだ、決して後悔のない人生を送らねばならないと、静かに自分を振り返る日にしなければ勿体ない事だと思います。


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