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門徒の一言

カテゴリー:コラム    更新日:2009 年 11 月 23 日

私は小学2年生の時に大東亜戦争が始まり、5年生の時に東京は戦争が激しくなり、19年の8月に学童疎開で長野の善光寺御坊に疎開しました。その生活は大変でした。8月、9月の気候はそれなりの暑さでしたが、今でも思い出しますが、薪を取りに善光寺の裏山で納骨堂のある山まで行き、松かさなどを取ってきたことや、夜の食事は、すいとんでお腹がすいて大変でした。冬になると大勢入れるお風呂は坊にないので、町の銭湯に行きました。帰りは手ぬぐいが棒のように凍っていたことを思い出します。
3月になり、東京の大空襲があり、父の実家新潟に家族が疎開した時、わたしを父が迎えに来てくれたので一緒に実家に疎開をしました。父の実家は8代続く農家です。父は農家の三男に生まれたそうです。後で分かったことですが、実家は真宗大谷派の門徒でした。祖母が仏間で念仏を唱えている姿をよく見かけました。何かあるごとに念仏を唱えていました。それが初めての念仏との出遇いです。
ある時、実家で法要をした時に、家の長は朝早くお寺に行き、桐の箱に入った阿弥陀様の掛け軸をいただき、首に下げて帰ってきます。そして床の間に飾り、仏具を飾り、それから法要が始まります。子ども心に、仏様を大事にしていることを知りました。
源信寺との出合いは、私が26歳の時、父が亡くなり、その時からです。もう50年にもなります。お寺のことは母任せで月参りをしてもらっていました。源信寺にはお墓がないので、お寺に出掛けていくことも無かったです。その母も84歳で亡くなりました。それから私が仏事をやり始め、先代の住職も亡くなり、新しい住職になり、たまたま法話を聞く機会に出合い、法話を聞くのが楽しみにお寺に行くようになりました。お寺の行事も出るようになりました。報恩講や永代経などで法話を何度も聞きましたが、初めは分からなかったが、お寺の勉強会などで『正信偈』それから『歎異抄』などいろいろな本を読み、今日の自分を省みる思いを知らされ、自分の身を振りかえって法話を聞くうちに理解できるようになりました。そのうち、法話を聞くのが楽しくなりました。東京二組聞法会で法話を聞き、大勢の人との出会いを大切にしていきたいと思っております。
長谷川 幸氏


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(2023 年 7 月 12 日)